〈ターニングポイント〉 突発性難聴を経験したトップ営業マン 2019年6月16日

〈ターニングポイント〉 突発性難聴を経験したトップ営業マン 2019年6月16日

 小学校の成績は全て最優秀。正義感も強い。誰とでも仲良くできる横山紘幸は、クラスのムードメーカーだった。
 中学1年の春。いじめられている友人をかばった。すると、今度は自分が標的にされた。理不尽さに、じっと耐える日々。以来、何事にも消極的に。「目立たず、そこそこでいい」。そう思うようになった。
 そんな横山を変えた出会いがある――。
 2003年(平成15年)、創価大学3年の夏。海外研修で南アフリカのエイズ患者がいる施設を訪れた。
 寝たきりの入所者。皮膚はただれ、頰はこけ、手足は骨と皮だけ。鋭い目が横山を見つめる。“生きたい、もっと生きたい”と訴えてくるようだった。
 目の前で苦しんでいる人がいても、何もできない無力感。そんな自分が情けなくなる。
 “俺にも、何かできることはないのか”
 施設の職員が教えてくれた。
 「たった一粒の薬があれば、助かる命があるんです」
 将来を決める一言になった。
 * 
 創大卒業後、大手製薬会社に就職した。薬品の適正使用情報を収集し、医師に伝達するMR(医薬情報担当者)として力を発揮するように。入社4年目の08年には、免疫領域の製品を統括する部門のメンバーに、最年少で抜てきされた。
 体に異変を感じたのは、その直後だった。朝、目が覚めると、左耳に、水が溜まっているような感じがした。「突発性難聴」と診断された。
 薬を飲みながら仕事に励むが、左側から話し掛けられると、聞こえにくい。商談中、何度も話を聞き返す。“まずい”と気付き焦ると、一方的に話していた。
 “最悪だ。相手の話を聞き、求めているものを引き出さないといけないのに……”
 ため息をつきながら、翌日の準備をする。ふと手帳に挟まった一枚の写真が目に入る。アフリカの孤児院で撮影した男の子とのツーショット。目が大きくて、笑顔がかわいい。隣に写る学生時代の横山。写真は、“あの時”の誓いを思い起こさせてくれた。
 “おまえは、ただ薬を売っているんじゃない。病で苦しむ人を救いたいという思い、苦難に負けない勇気を届けるんだろ!”
 “よし!”と御本尊の前に座り、題目を唱える。不思議と勇気がみなぎった。
 創大時代に刻んだ「労苦と使命の中にのみ 人生の価値は生まれる」との創立者の指針も背中を押してくれた。
 “今まで通りのやり方じゃダメだ。聞こえづらいという弱点を、過去の自分を、知恵と努力で凌駕するんだ!”
 薬や病気について勉強し直し、商談のシミュレーションを何十回と行った。そして、いつも以上に相手の話を聞こうと努めた。
 MRは患者との接点はないが、あえて患者の葛藤にも寄り添おうとした。例えば、医師が担当している免疫疾患の女性が結婚したことを知ると、妊娠に影響がない薬を紹介した。
 新しい薬の情報が入れば、病院の廊下を歩いている医師に、「1分間」で資料を渡し、説明した。1時間、治療法について語り合うこともあった。
 ある時、医師に言われた。「君ほど、患者の痛みに寄り添うMRには、会ったことがない」と。
 難聴は治ったが、聞こえづらさは残った。それでも、営業成績は常にトップ。今春、模範的な最優秀MRとして、社内300人の前でプレゼンを行った。
 * 
 横山は今月上旬、男子部大学校生の悩みに耳を傾けていた。表情の変化や言葉の間が示す、微妙な心のサインを見逃さない。どうしたら彼が、自分の殻を破り、信心の醍醐味を実感できるのか――。
 そうした姿が友の心を打ち、これまで12世帯の弘教を実らせている。病で苦しんでいた友は、「同情してくれる人は、たくさんいた。でも、横山さんのように、人生にここまで関わってくれる人はいなかった。本当にうれしかった」と――。
 横山は、あの写真を手にすると、遠く離れた地へ思いをはせる。
 「人生って、たった1回の出会いで、百八十度、変わることがあります。だから、一回一回の出会いに、全力を尽くしたいんです。それが、アフリカで出会った友が教えてくれた“生きる”ということだから」

サイドストーリー
 “受験の天王山”とされる高校3年の夏。横山は、志望校が決まっていなかった。
 母に勧められ、創価大学のオープンキャンパスへ。相談コーナーにいた創大生の一言に衝撃を受けた。
 「人間力を磨くなら、創大だよ」
 「人間力って何?」。その意味を確かめようと創大に入学。4年間、埼玉から片道2時間かけて通った。
 答えを求めて、「パン・アフリカン友好会」に所属。後輩の進路相談に応じる「キャリアサポートスタッフ(CSS)」の一員として尽力した。
 横山が見つけた答えとは――。「人間力は、人間同士の触発の中で磨かれるもの。分かち合う共感力や、思いやる想像力、そして、苦難に負けない勇気。それが今、MRの仕事に生きています」

 よこやま・ひろゆき 1982年(昭和57年)生まれ、同年入会。東京都世田谷区在住。創大時代、「パン・アフリカン友好会」の一員として訪問したアフリカで人生観が変わった。卒業後、大手製薬会社に就職。三重、石川、福井、山形、東京と転勤を経験。どの地でも、男子部のリーダーとして拡大の先頭を走ってきた。総区男子部副書記長。松ケ丘支部。