〈信仰体験 ブラボーわが人生〉第63回 96歳 一日一笑 2019年6月7日「題目。題目ち。これしかなかけん」
2019.06.07投稿
〈信仰体験 ブラボーわが人生〉第63回 96歳 一日一笑 2019年6月7日
「題目。題目ち。これしかなかけん」
【福岡県・広川町】極上の笑顔だった。喉の奥が見えるほど大きく口を開け、年輪の刻まれた手をたたき、のけぞって呵呵と笑う。内田百合子さん(96)=八女大勝支部、支部副婦人部長。この母につられて笑うと、ずっと幸せな気分になった。なぜかって? 生き抜く力を分けてもらった気がしたからです。
風来坊じゃけ、あっち行ったり、こっち行ったりしましたったい。
ハワイで生まれて、小学5年生で福岡に来ましたったい。結婚して東京に住んで、香川に越してですよ。戦後の大変さもあって、岡山におる時が一番厳しかったもんね。
夫は本屋しよりました。日当もらっても、酒ばーっかり飲みよったとです。
長男が豆腐売りやら新聞配達やらしてくれたと。自分で一銭も使うたこと無かもんね。小学校もろくに通えんばってん、「勉強が苦手やけん」言うてくれた。瀬戸内海が見える山で「みかんの花咲く丘」を長男に歌ったことがあるったい。遠くでポンポン船が行きよった。
岡山から汽車で、福岡の久留米に夜逃げしたと。荷物持って行く余裕はなかった。久留米の公園に朝早う着いた。その足で里に帰ったらおかしかけん、「夕方まで遊ぼう」ち。子どもは喜んだばってん……。
日が暮れて里に帰りました。母が大きな鍋に炊いてくれたみそ汁ば、忘れられん。
最初に行ったのは母の里。間借りしたのは父の里。昔の家やけん、太か(広い)けど隅ーっこ。しちりんでおかゆさんを炊いたと。1日1食。ご飯ないから、おっぱい出らん。子どもがぎゃあぎゃあ泣くでしょうが。近所から溶かしたザラメを杯でもらってですよ、指ですくって、子どもの乾いた唇に運びよったとです。
なんもかんも回り道、回り道。どん底もよかとこやけん、信心できたんでしょ。昭和35年(1960年)ですたい。
あん頃は、どこの家も外から見ると、よかように見えるばってん、中に入ると、大して変わらん。お互い貧乏。ごっすん、ごっすん(どっこい、どっこい)。そやけん折伏したとです。
よそ者ちゅうと、厳しかね。なかなか仲良うされんわけ。私は1人で折伏に回りよる。悪口、言われた、言われた。どげん言われても、へへへと聞いとる。それしか無かがね。
笑いもなけりゃ、楽しみもない。黙っておるより、炭坑節、踊るばい。
〽月が出た出た 月が出た(ヨイヨイ)
折伏はできるとか、できんとかじゃなくて、とにかく頑張ればよか。
小さい弁当箱ば入れて、砂利道を自転車で行きよったです。道が細いけんが、川の中にドボーン。ご飯がみんな流れようもんね。目で追うた。米粒ば、魚のおる所に行きましたったい。よかよか。魚もおなか空いとるったい。
お金がなかもん。私は夜の2時まで皿ば洗って仕事しよったけん。ふらーふらーして帰りよった。月が遠くの山を照らすたい。「あの山を越えたらよかろうばってん、あの山なかなか越えられんね。人生みたい」
ご飯の代わりに題目を食べよった。信心しかなか。鈍行を乗り継いで、また乗り継いで、東京の親戚に信心の話ばしよったと。
夜中に帰ってみたら、玄関に何か置いてある。外灯はなかです。真っ暗。近寄って触るとモサモサするでしょうが。驚いたー。米俵があったとですよ。
誰が持ってきたか分からん。じゃあ、通る人みんなにあいさつせんな。笑って声掛けるから、相手もうれしい。そうすると、また玄関に野菜が置いてあったりする。白菜とか玉ねぎとか。へへへ。あの米俵、御本尊様が持ってこらっしゃった気がしましたったい。
ありがたいことで、池田先生と写真ば撮りました(68年3月)。うれしかったもんじゃけん、前さ行きました。行ったばってん、役員に「背の高かけん、後ろ下がらんですか」と言われて下がりました。
池田先生と握手してもらったこともあるとです。あったかーい手、柔らかーい手。おかげで、どんなことでも我慢できましたったい。
次男は今、沖縄のお墓に入っとる。52歳で死んだ時は、「起き上がらんかな!」と、やかましい言うたです。つらかったよねえ。つらかばってん……鎧ば着とかんと。「忍辱の鎧」(御書502ページ)たい。
鎧ば着て、題目。題目ち。これしかなかけん。あっち行ったり、こっち行ったりせんでよか。題目あげながら、御書ば読む。
「帰命とは南無妙法蓮華経是なり」(同708ページ)
それが離れん。目の前の御本尊に書いてあるったい。深ーい意味があるとですよ。あの山を、どげんして越えたか分からんと。次男のことはもう安心してます。
今は両方の足、さっさと歩かれんことになって、いかんばい。歩かれんが、地区の人が歩いてくれる。いい人なんじゃー。題目あげさせてもらうのが、私の責任。当たり前と思っとる。御本尊とは離れられん。私が守っていくですたい。
まだまだ革命せな、いかんばい。今年は病院も行かない。ここ(御本尊の前)へ座ったっきり。座ったら動かんけん、根が生える。男の人は思い出さんでよか用事をすぐ思い出して、せんでいい時に立って動く。ハッハッハ。あんたはどうですか? (その通りでございます、とひれ伏すと)ごめんね、ごめんごめん。すいませーん。
またおいでじゃあ。八女は、お茶もおいしかよ。これをご縁に、よろしゅうお願いしときます。
後記
修羅場でこそ笑ってみせる。そんな気概をこの母に感じる。食べ物がない時は山の柿を食べた。債権者の取り立てにもあった。単純ヘルペス脳炎だった長女のために沖縄まで通った。その一つ一つを笑顔絶やさずに話してくれた。強い人は、自らの苦汁さえ笑うことができるのか。
貫いた志は子から孫、ひ孫へ。取材の帰り道も、内田さんの笑い声が離れない。ハッハッハ。末広がりの「八」につなげたくなる。
「一日一笑」。それは「一日一勝」に通じ、ひいては「一日一生」を勝ち開く。ともあれ、人を幸せにする96歳の笑顔。顔半分が口になっちゃうもんだから、入れ歯の品評会をやってるのかと思ってしまう……まあそんな大会ないですけど。(天)