〈信仰体験 SOUL 雄魂〉 その男、込める者なり。 2019年6月8日
常滑焼の風雲児「失敗が全て味」
小高い丘を取り囲むように巡る「やきもの散歩道」。土管や焼酎瓶が埋め込まれた「土管坂」で腕組みする森下さん。この近くにギャラリーがある
小高い丘を取り囲むように巡る「やきもの散歩道」。土管や焼酎瓶が埋め込まれた「土管坂」で腕組みする森下さん。この近くにギャラリーがある
【愛知県常滑市】面白いか、面白くないか。その一点に、作品の良しあしがあるという。では、判断のよりどころは何か。「人間の味が見えるかどうかだがね」。陶工・森下宗則さん(64)=常勝支部、副総県長。常滑焼の世界で、圧倒的な存在感を放つ。
駆け出しの頃、「ろくろの中心も決まらず、情けなくて涙が出た」。友人は大学生や社会人になり、充実していた。
問屋や客からの声も厳しかった。印刀でぼたんの花を彫れば「キャベツ」と言われ、コイを描くと「このコイは死んどる」。「この品物なあ、金くれえ金くれえ言うとるがや」と突き返されもした。
34歳、いつも2人並んでろくろをひいていた父が急逝した。続けて母が骨粗しょう症で寝たきりになった。下の世話を3年間した。
作陶の手は重くなり、真夏の造園業で日当を稼いだ。何も作品を生み出せなかった15年前、生活はついに困窮した。「お父さんだけがつらいんじゃないんだわ!」。息子が叫んで壁に穴を開けた。家族それぞれが踏ん張っていた。
陶工として、父親として、向かう先への絶望感が重く迫る。心の声がした。
それが君の誠か?
それが君の本当の信心か?
森下さんが男子部の時、有志で額皿を池田先生に届けた。富嶽三十六景。荒波に向かう小舟を彫った。そこに「但偏に思い切るべし」(御書1451ページ)と刻んだ。すぐに返歌が届いた。「君のまことか/焼き皿見つめて」とあった。
己の限界にむちを打った。題目また題目、そして題目。「強敵を伏して始て力士をしる」(同957ページ)。森下さんの半生は失敗の繰り返しであり、神経をすり減らすことばかり。「でも結局、失敗が全て味なんですわ」
挫折に目を凝らすと、じんとくることが必ずあった。
夜の2時過ぎ、工房の扉をたたく音がした。男子部の先輩が立っていた。「頑張れ」と言葉短く、パンと牛乳を渡してくれた。
厳しい声を上げた問屋が、印刀の線に生命が宿ることを教えてくれた。「優雅な時はぼたんの花を、怒りが込み上げている時は竹を彫れ」
子どもを塾に通わせる余裕はなかった。しかし「知らん間に3人とも創価大学を卒業しとった」。
悔し涙を拭いた手で印刀を握り、生きざまそのものを彫り込む森下作品。身を削る思いで渾身の一品ににじり寄る。「自分の中で爆発した」。それまでの概念から全く外れた作風で度肝を抜く。
常滑焼は赤褐色のものが多い。森下さんは朱泥の「赤」と、もみ殻でいぶした「黒」のグラデーションのそよぎに、白い桜を一心に彫った。そしてあのオンリーワンを生んだ。
若い頃はあまたの賞を射止め、誇った。今は違う。荒波を莞爾と越えゆく生きざまを、作品にどれだけ込められるか。そこを問う。
森下さんは、辞書にもない自分だけの言葉を編んだ。
「陶味」
はいつくばった数だけ、自由一徹の味が作陶ににじむ。森下作品はまぎれもなく、分身といえよう。だから、面白い。「自分は荒波にこぎ出す小舟」。陶工は旅の途上にいる。