〈信仰体験ブラボーわが人生〉第62回94歳おふみさん 2019年5月23日 「学会活動の福運が全部子どもにいきますように」

〈信仰体験ブラボーわが人生〉第62回94歳おふみさん 2019年5月23日
「学会活動の福運が全部子どもにいきますように」

【埼玉県蕨市】ばっちりのアイシャドーに目がくらんだ。「男性が来るから、少しきれいにしとこうかと思って」。おふみさんこと、小林冨美子さん(94)=蕨中央支部、地区副婦人部長。はつらつとした人である。笑い声の合間を縫うように、いろいろ質問をした。話はまず、アイシャドーの秘密から。

祖母の教えですよ。「かまどに火付けたら、頭とかして、顔洗って、お化粧するのが女のたしなみ。人さまに素顔を見せるんじゃありませんよ」。おかげさまで、15歳は若く見えるって言われんの。あなたもそう思うでしょ?(おふみさん、身じろぎもせず「そうですね」の返しを待つ)
信心のおかげで、今があるんです。鶴見支部の人から話を聞いて、昭和28年(1953年)に信心したの。でも屁理屈ばかりこねてたわ。なにしろお金の苦労があったんで。夫は洋服店の裁ちくずを買って商売したけど、代金をもらえないことがよくあったの。
座談会には嫌々行ったわよ。東京の日暮里から神奈川の鶴見まで2時間。着くのはみんなが帰る頃ですよ。一人のおばあちゃんがいたの。「小林さんよく来たねえ。功徳あるよ。頑張ろうねえ」。何とも言えない優しい顔でした。
みんな功徳の体験を語るじゃない。うちは貧乏まっしぐら。みんなの御本尊様と何が違うんだ、って家の仏壇に顔突っ込んだ。何が悲しいって、子どもにふびんな思いをさせたことです。
友達は自転車で遊ぶんだけど、うちの子だけ自転車を持ってない。自転車を走って追っ掛けてましたよ。あとテレビがないもんだから、よく友達の家に見に行ってました。夕食を囲んでる友達を横目に、うちの子は部屋の隅っこに正座して、テレビを見てたんです。
こんなはずじゃなかったと思ってさあ。初めて自分を振り返りました。石の上にも三年じゃないけどさ、3年は文句言わずに信心するぞ、って腹を決めたわけ。
子には何とか食べさせても、自分は食べないことがあったわよ。食べたふりして歩いてたわよ。そんな時、一緒に歩いてくれた先輩が池田先生の話をしてくれた。
東京オリンピックの年に、この蕨に越してきました。砂漠の中にぽつんとあるような掘っ立て小屋。お勝手に水を置いとくと、朝には凍っちゃう。苦労をしゃべったら山ほどあります。創価学会って分かると、みんな目の色が変わるし、メガホンで悪口も言われたわ。
くじけそうになったら、池田先生が夢に出てきてくださるの。目が覚めたら、朝日とともに爽やかな気持ちになってんの。
学会活動できたのは子どものおかげ。「お母さんはパチンコに行ってんじゃない。幸せのために行動してんだ」。上の子が下の子にご飯を食べさせたり、おしめを取り換えたり。家族みんなで前に進んだ感じ。
夏季講習会は忘れらんないね。池田先生と一緒に「人生の並木路」を歌ったんです。歌いながら子どもの苦労を思うとさ、涙が出ちゃう。「泣くな妹よ妹よ泣くな」。池田先生が歌ってくださるから、また泣いちゃうのよ。
やっぱり福運が大事よ。「夫れ運きはまりぬれば兵法もいらず・果報つきぬれば所従もしたがはず」(御書1192ページ)。人生には引き潮と満ち潮があるでしょ。引き潮の時に題目をどれだけ積むかで、福運が決まると思うのよ。
オート三輪車で古紙とか鉄くずを回収してました。働いても働いても暮らしが全然よくなんない。歯を食いしばりましたねえ。よし、子どもに題目を残そう。学会活動の福運が全部、子どもにいきますように――。その気持ちで、ずっと戦いました。光陰矢のごとしで、気付けば94歳です。あの人も幸せにしたい、この人も幸せにしたい。そう思っちゃう。きっと、自分が幸せになったからでしょうねえ。
もちろん、時々たるみますよ。でもここんとこ、忙しくて休んでられない。市の舞踊連盟の会長もしています。最近の教学部任用試験も4回続けて、友達と勉強したの。3人が信心したわ。
先日、長男が私に「勝ったね」って言ったの。「近所の人に信心の話をしても、みんなニコニコしてる。それって信頼の証しだよ」って。諸天善神がいっぺんに、こっち向いた気がしたよ。
先輩の言葉を思い出したの。「どんなに大変でも、あんたの題目が必ず子どもに出るからな」。長男は清掃会社の社長をしています。長女は地区婦人部長で、次女も次男も元気です。「冥の照覧」だ。御本尊様はちゃんと見ててくださったんだね。
私、実行してることがあるの。うちに来た人には、玄関まで送ってニコッとしたげる。あの座談会で笑ってくれた、おばあちゃんのようにね。名前は知らないけど、そのおばあちゃんがいたから、私の今があるんです。

後記
思い通りにはならないが、頑張れば何かをつかむこともある。それを取材で感じた。
おふみさんは従軍タイピストとして戦中を生きた。新聞は神国日本を書き連ねたが、婚約者は戦火に散った。神も仏もあるものかと思った。だから信心にも素直になれなかった。
供養になればと思い、婚約者の弟と結婚した。その夫がおふみさんを学会活動に引っ張った。同志は師弟のロマンを語った。その言葉が、凍った心をとかしてくれた。
おふみさんは、広布の土壌でたくましく育った。ひもじさはあっても暗さはない。貧しさに泣く悲母ではなく、貧しさを楽しむ賢母になってみせた。その堂々たる姿を、近所の人が慕い、子が見習う。
年齢の壁を破り、いくつになっても成長できることを示す。胸のすくような歯切れの良さ。言葉の力を94歳に見た。そう言えば――。
おふみさんの近所にコーヒー店がある。2人で入ると、若い女性の店員さんが注文を取りにきた。なじみ客のおふみさんと話が弾む。「デートですね」と言われ、笑い合った。
ところがである。頭に「デート」が入ってしまうと、だんだん緊張してくるから、さあ大変。熱い紅茶を口に運ぶおふみさん。その目元が細くなり、とっても美しく見えてしまう。これも言葉の力か、それともアイシャドーの魔法なのか。(天)