〈信仰体験生きるよろこび〉パーキンソン病と闘って8年 2019年5月25日 絶対に負けない!私の姿が信仰の証し 師匠、同志、家族と今日も共に歩む

〈信仰体験生きるよろこび〉パーキンソン病と闘って8年 2019年5月25日
絶対に負けない!私の姿が信仰の証し
師匠、同志、家族と今日も共に歩む

【仙台市宮城野区】武田貴代枝さん(66)=大切光彩支部、区副婦人部長=は、厚生労働省の指定難病「パーキンソン病」と向き合って8年になる。“不安がない”と言えば、うそになる。だが、武田さんの言葉には力がこもっていた。「私は負けない。よし!今日も頑張ろう」。その力強さは、どこから来るのだろうか。

震災3カ月後に起きた異変
緑の風薫る杜の都。この美しき大地を襲った東日本大震災から3カ月後のことだった。
婦人部の会合に参加していた武田さんのノートを持つ手指が、小刻みに震えだした。“えっ何?”。思わず手を引っ込めた。しばらくして、今度は足を前に踏み出そうにも、一歩が出せない。すり足になってしまう。体の異変に怖くなった。
地域の病院で診てもらうが、原因が分からないまま月日だけが過ぎていった。
木々が赤く色づいた頃、テレビを見ていた長女・今野邦子さん(39)=白ゆり長=が「この人、お母さんと同じ症状じゃない?」。パーキンソン病と闘う患者の模様が映し出されていた。脳内で情報を伝える神経伝達物質ドーパミンを出す神経細胞が減り、体を動かしにくくなったり、震えが起きたりする。「確かに同じ」と思ったが即座に心で拒んだ。
その年の12月、医師から告げられたのは、やはり同じ病名だった。“違う病気であってほしい”と願っていただけに、苦しさや悔しさが、ない交ぜとなって込み上げてきた。
“嫌だ。どうして……”。武田さんは婦人部の先輩に、思いの丈をぶつけた。駆け付けた先輩には障がいがある娘がいる。自らの体験を語りながら、励ましてくれた。「病に勝つことよりも負けないこと。これ以上は絶対に進行させない!と強く思うことが大事。絶対に負けちゃダメ」
武田さんの負けない心を奮い立たせてくれる、先輩の熱い思いが痛いほど伝わってきた。

師弟不二を誓う思い出の常磐線
とはいえ、ゴールの見えない現実に心が折れそうになる。病との闘いは、水が流れるような持続の信心が必要だということを思い知らされる。
強い薬の副作用ゆえか。次第に背骨が歪み、くの字に曲がった。鏡に映る姿が醜かった。「私が私じゃなくなっていく……」。その上、背骨の変形により全身に神経痛のような痛みも走る。以前はサッとできたことが何倍も時間がかかる。手指に力が入らず物が持てなくなり、一時は車いすを使わなければならないほど歩行が困難になった。
“信心をしているのに”と後ろ指を指されているんじゃないか。そう思うと外出するのが怖くなった。生きるのがつらくなった時期もある。
だが、弱気をたたき出し、這ってでも前へ進む勇気を湧かせるのは師との誓願だった。
茨城で女子部の本部長をしていた1977年(昭和52年)1月から毎月、関東本部長会が開催された。常磐線に揺られ集った会合は、池田先生の提案で翌年10月まで続く。先生の出席は実に12回。毎回、師匠の息吹に触れられることがうれしかった。その喜びと感動を、友人や女子部の同志に語り伝えずにはいられなかった。
ある時は御書を拝して、またある時は懇談的に、師は“どんな苦難が襲おうとも、学会と信心から離れてはいけない”ことを訴えた。
「当時は知る由もありませんでしたが、会長を辞任された池田先生がどれほどの思いで、今の時代を切り開いてくださったか。先生を思えば、弱音なんか吐いていられません」

幸せ運ぶ笑顔のべろ・さんきゅー
生きる力を与えてくれるのは、家族の存在も大きい。
95歳の義母・みどりさん=支部副婦人部長=も、その一人。義母がデイサービスやショートステイから帰宅すると、決まって言うセリフがある。「またまた、お世話になります。さんきゅー、さんきゅー、べろ・さんきゅー」。ニコッと向ける愛くるしい笑顔が、何とも言えない幸せの風を運んでくる。
ある日の昼下がり。題目を一緒に唱えた。5分ほどしたら、隣にいる義母の寝息が聞こえてきた。声を掛けると「ん?もう1時間たちましたか。おらはこれで」と立ち上がろうとする。状況を伝え、2人で大笑い。
「おばあちゃんといると心が和むんです。実はそう思えるようになったのは、この病気のおかげなの」
かつては義母の介護を苦痛に感じていた。夫・功さん(67)=副区長=は、東京へ単身赴任中。留守番をしていた義母が何時間も行方不明になったことがある。軽い認知症があった。当時、武田さんは婦人部本部長。目が離せなくなり、全ての会合に連れて歩いた。義母に悪気は全くないから余計につらくなった。
武田さんが病を患った頃から、不思議と義母の症状は落ち着いた。老いゆく義母に自分の姿を重ねた時、心から同苦できた。「何でもしてあげたい」と。
武田さんの手をなでながら、義母は言う。「悪いな、悪いな、そんな体でおらの面倒見てくれて。ありがとな。題目送るぞ。精いっぱい題目送るからな」
そんな義母に、どれほど癒やされてきたかと思う。

孫に伝えた祈りの素晴らしさ
武田さんは、座談会や本部幹部会(中継行事)以外の会合参加は控えている。その代わりに、三女の伸枝さん=総県女子部主任部長=が臨場感たっぷりに会合の模様や感動の体験を話してくれ、参加者の気分を味わえる。
また先日は、少年少女部の会合から帰ってきた小学2年の孫・今野実桜さん(8)が、武田さんに言った。「ばあば(武田さん)がね、お題目をいっぱいあげてくれたから妹の病気が治ったんだね。お題目ってすごいと思った」。孫の話に目頭が熱くなった。
1年半前、孫の今野華帆ちゃん(4)が突発性血小板減少性紫斑病を患うも、治療が奏効し、6カ月後には完治。その間、武田さんは懸命に祈った。その姿を実桜さんは、じっと見ていたのだ。
近隣の友人と立ち話をした時のこと。友人から「その体で家事やおばあちゃんの世話など、よく頑張っているね。すごいわ」と言われた。“人目を気にする必要はないんだ。ありのままでいい。今の私の姿が信心の実証なんだ”と心が晴れた。
「家族が思い切り、広布の活動ができるように、私にできることをやる。それが今の私の使命ですから」
病院での検査は月に1度。ここ何年も医師から「安定していますね」と言われている。
日々口ずさむように、自分に言い聞かせている御書の一節がある。「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(1351ページ)
誰が見ていようと、見ていまいと信心を貫く。師弟の道を真っすぐに歩み抜く。武田さんの心の強さの答えが、そこにあった。