「心の師とはなるとも心を師とすべからず」激闘28 小説「新・人間革命」27巻
2014.04.23投稿
五月十三日、山本伸一は九州に飛んだ。
”日本全国をくまなく回り、一人でも多くの同志と会って励まさねばならぬ!”
宗門の悪侶による学会誹謗に、苦しんでいる会員のことを思うと、伸一の胸は激しく痛むのであった。
鹿児島県の九州研修道場に到着した伸一は、翌十四日、構内を視察しながら、九州の幹部や研修道場の職員らを激励した。
夜には、春季研修会として開催された、広島県の壮年・婦人の指導部、東京・台東区の各部代表の合同研修会に出席した。
彼は、勤行の導師を務めたあと、「法華行者逢難事」の「各各我が弟子たらん者は深く此の由を存ぜよ設い身命に及ぶとも退転すること莫れ」から、「互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ」(御書九六五ページ)を拝して指導していった。
この御書は、文永十一年(一二七四年)の一月十四日に、大聖人が佐渡で認められ、富木常忍、四条金吾をはじめ、弟子一同に与えられている。当時、大聖人に従う者は強く戒める旨の、偽の御教書が出されるなど、迫害は一段と激しさを増していたのである。
そのなかで大聖人は、たとえ大難を受け、命に及ぶようなことがあったとしても、絶対に退転してはならないと、弟子たちに呼びかけられている。そして、何があっても、皆が信心を貫いていくために、「互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ」と指導されたのである。
伸一は、力を込めて訴えた。
「人間は、一人になってしまうと弱い。ましてや、迫害のなかでは、恐れを感じ、自分の弱い心に引きずられ、次第に信心を後退させていってしまう。つまり、『臆病』という自分の心が、師匠になってしまうんです。
ゆえに大聖人は、『心の師とはなるとも心を師とすべからず』(同八九二ページ)との経文をあげて、自分を正しい信心へと導く”心の師”の大切さを述べられています。仏道修行には、師匠が、また、同志が必要なんです」