「我もいたし人をも教化候へ」激闘29 小説「新・人間革命」27巻

学会員は皆、崇高な地涌の使命をもち、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を実現するために、創価の旗のもとに集った尊き勇者である――なればこそ山本伸一は、いかなる試練が競い起ころうが、一人たりとも、脱落させたくなかった。

 ゆえに彼は、皆が強盛な信心を全うしていくうえで、学会の組織がいかに重要であるかを訴えていったのである。

 「信心を学び、勇気をもって実践していくには、人間対人間の触発、啓発が不可欠です。同志が集い合っては、仏法の教えを語り合い、確認し合っていく。それによって、〝よし、頑張るぞ!〟と決意し、新しい挑戦の歩みを踏み出すことができる。

 もともと『僧』という言葉自体が、仏になるための修行をする人びとの集団である『僧伽』(サンスクリットのサンガの音訳)の略であり、後に、個々の修行者のことも僧というようになった。つまり、本来、仏道修行は単独で行うものではなかったのであります。

 成仏のためには、善知識といって、仏道へと自分を導き、励ましてくれる人の存在が必要なんです。その切磋琢磨し合う姿を、大聖人は『互につねに・いゐあわせて』(御書九六五㌻)と言われているんです。

 この通りに実践しているのが、学会の組織です。その組織のなかにあって、『ひまもなく後世ねがわせ給い候へ』(同)――怠りなく修行に励み、三世永遠の幸福を願い、広宣流布の誓願に生き抜くことが大事なんです」

 日蓮仏法は、自分だけが題目を唱えることをもってよしとするのではない。「我もいたし人をも教化候へ」(同一三六一㌻)と仰せのように、自身が信心に励むだけでなく、人にも仏法を教える「自行化他」をもって、仏道修行の基本としている。

 人を教化するならば、信・行・学を教え、励まし、育成する人の連帯、組織がなくてはならない。したがって、日蓮仏法の修行では、和合僧、すなわち信心錬磨の組織が極めて重要な意味をもつのである。