『「SGI」の尊き使命』 ◇ 随筆 人間世紀の光 (005) 2004-1-21
2004.01.21投稿
◇ 随筆 人間世紀の光 (005) 『「SGI」の尊き使命』 2004-1-21
人間の中へ 幸福の種子を! ――
世界広宣流布とは「平和」の実現
「闘争しているときが私にはもっとも快適であった。そのときには、私の思想は最大の鋭さを発揮した」
ロシアのベルジャーエフという哲学者のこの言葉が、私は好きであった。
「闘争」即「充実」である。
「さあ皆さん、今日は何語でやりましょうか?」
欧州のルクセンブルクでは、こう言って、座談会が始まるそうだ。
ある日、喜々として集ったメンバーの出身国は、ルクセンブルクはもとより、ベルギー、フランス、ドイツ、イタリア、スウェーデン、ロシア、オランダ、韓国、日本など、なんと十二カ国であった。
信念の強きわが同志は、どこの国でも本当に仲がよい。また良き市民として、それぞれの国の繁栄と平和を願いながら、わが人生と仏法の楽しき語らいを弾ませている。
「座談会は国際会議以上の使命をもった、人類の代表の平和の集いだ」と、ドイツの若き学徒が賞讃した。
このような会合が、今や世界中の百八十六カ国・地域に広がるSGI(創価学会インタナショナル)の同志の家々で、さらにまた、約八百もの海外の広宣流布の会館で、行われているのだ。
一九七五年(昭和五十年)の一月二十六日、わがSGIは発足した。
グアムに五十一カ国・地域の優秀なる同志の代表が集った、人間主義の「平和会議」の時のことである。
私が、恩師・戸田先生から託された、世界平和への飛翔を開始してより十五年――。
当時は「東西冷戦」という世界を二分した対立の渦中である。人類を危機に追い込む、核の脅威が地球を覆っていた。それは、国家悪の魔性に翻弄されゆく愚行と敗北の象徴であった。
為政者よ、人間を見失うな、生命の重さを忘れるな!
私は、平和を願う切実な「声」を響かせたかった。人間と人間、民衆と民衆の連帯という拡声器を通して、世界に伝えたかった。
ロシアの文豪チェーホフは書いた。
「もし本当に人々のためになりたいと願うんなら、こんな狭苦しい、ありきたりの活動範囲からとびだして、直接大衆に働きかけるように努めなけりゃ!」
この時、太平洋戦争で大激戦場となったグアム島の天地から、私たちは力強く宣言した。
「二十一世紀を、最大に人間が謳歌される世紀――すなわち生命の世紀とする」と。
そして、また、真実の平和の創出のために、政治や経済より強い力となるのは、生命の尊厳に目覚めた民衆の連帯しか絶対にない、と誓い合ったものである。
SGI発足の前年、私は、中国とソ連を初訪問した。
なぜ宗教否定の国へ行くのか、共産主義の片棒を担ぐのか等々と中傷もされた。
だが、私は、「そこにも人間がいる。人間がいる限り、私は行く!」と言い切った。
仏法は、すべての人に「仏性」という尊極の生命が具わると教えている。
法華経には「我深く汝等を敬う」と説かれている。
人間として互いに尊敬し合うことが、正しき普遍の生命の道なのだ。
ソ連に到着して間もなく、受け入れの中心者の一人は、私に言った。
「あなたの言う宗教で、世界が平和になるんだったら、私は共産主義を捨てます。絶対にできっこありません!」
だが、私は「対話」をあきらめなかった。一瞬一瞬が、一日一日が、人びとの心の氷をとかす戦いであった。
コスイギン首相に「あなたの根本的なイデオロギーは何か」と問われ、私は答えた。
「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です」
首相は、「その思想を私たちソ連も実現すべきです」と真剣な表情で、責任ある言葉を放った。皆が驚いた。
滞在が終わるころ、ソ連側の関係者と懇談した。
「満足していただけましたか? 何か、ご不満はありませんか?」
聞かれて、私は答えた。
「大いにあります」
通訳が訳すと、先方の顔がこわばり、その場は、しんとなった。私は続けた。
「九九・九パーセントは満足しています。しかし、○・一パーセントは不満足。なぜなら貴国の人たちは、少し太りすぎている。友好の抱擁をしようと思っても、手が届かないではないですか!」
訳された瞬間、明るい笑いが弾けた。
春が来たように、人間と人間が笑顔で向き合えた実感があった。
あれから三十年。今、そのロシアでも、SGIの同志が使命に燃えて活躍している。
世界の広宣流布は、仏法の究極の大願である。
言い換えれば、この世界から「悲惨」の二字をなくし、人類の幸福なる恒久平和を実現することであるのだ。
一宗教の繁栄が目的ではない。全民衆の幸福が根本の目的である。「人間」のために、仏法はあるからだ。
私は、必ずや未来に向かって無数の後輩たちが後に続くことを信じて、対話と対話のクワを握り、世界中のあらゆる国々に、平和という最高の「種」だけは蒔いてゆく決心であった。
種を蒔いておけば、花は必ず咲くのだ。世界中の大地に「平和」という花を咲かせていくために、行く先々に、その魂魄の種を置いていくことを使命としたのである。
南北アメリカヘ、ヨーロッパヘ、アジアヘ、中東へ、アフリカヘ、オセアニアヘ、また社会主義の国々へも、私の平和の祈り、行動、そして対話は続いていった。
草創期、メンバーがいる国も、いない国もあった。たった一人の同志に会うために訪れた国もある。海外に渡る友がいると聞けば、寸暇を惜しんで励ましもした。
その私と共に、わが同志は一人、また一人と、雄々しく立ち上がってくださった。
同志が増え始めると、誤解や偏見から、弾圧の嵐が吹き荒れたところもあった。
だが、わが健気な同志たちは、「これこそが真実の信心である」という挑戦を続けてこられた。そして、多くの誤解を理解に変えていった。さらに、想像もできないほどの社会の信頼を勝ち取っていったのである。これは、皆様もご存じの通りである。
広宣流布は「対話」によってこそ進む――これが、牧口初代会長の卓見であった。
書物や講演会だけでは、民衆の強固な連帯はつくれず、仏法は広がらない。最大の力は「座談会」であり、「自分から出向いて、一人ひとりと語る」ことである。
牧口先生ご自身が、軍部政府の弾圧で投獄される直前まで、一歩も退かず正義の対話を続けられた。今年は先生の殉教から六十周年である。
偉大な指導者である戸田先生は、あの昭和二十六年五月三日の会長就任式で、「広宣流布は一対一の膝詰めの対話で!」と叫ばれた。
御聖訓には、「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや」(御書一三六〇ページ)と仰せである。
私たちは、この対話の大道をまっしぐらに進んできた。
ウクライナの女性詩人ウクラインカは謳った。
「言葉よ、私の武器、私の喜びよ!
……後世に、鋭き言葉を、仇討ちの厳しき闘いに用いるがいい。
誠実な刃よ、勇気あるものに尽くすのだ!弱き手にゆだねてはならない!」
言論とは、本来、それほど厳粛なものなのだ。
しかし、日本では、その言葉の価値が、あまりにも軽んじられてきた。
「名誉ある民主主義だというのに、人の名誉を傷つけ、嘘八百を書いて、金儲けをしようとする、何と情けない野蛮の国・日本よ!」と憤怒した、あの学生の凛々しき顔を忘れることができない。
言論は、当然、自由である。しかし、人を陥れるための謀略の言論は、許されない。いな、全国民、全人類が断じて許してはならない。
ある学者も怒りながら言っていた。
「自由とは、悪を打ち破り、真実を追求するためのものである。真実を語るためのものである」
全く、その通りだ。陰険卑劣なる言論は、ナチスの遣り口であった。最後は滅んだ。
事実無根の作り話で金儲けをするような者は、必ず滅びる。また、それを見破れない愚か者は、人間として最も不幸な愚者である。
「嘘をつくやつは、きたないものだ」とは、チェーホフの有名な言葉だ。
宗門は嘘八百を並べ、我々を弾圧した。
こんな汚らわしき一派と永遠に別れたことは、なんたる幸福か。これこそ、大聖人の御計らいであったことは間違いない。
一人から一人へ! 心から心へ! 尊き広宣の英雄たちの汗と涙の労苦により、遂に世界広宣流布の夢は、現実のものとなってきたのだ。
ある先輩がしみじみと言っていた言葉が、私の耳朶から離れない。
「これほど真剣に、地道に、無報酬で、仏法のため、人のため、平和のために活躍している庶民が、どこにいるのか。
要領のいい政治家には、我々の税金で出来上がった多くの勲章が与えられ、それらと比較にならないくらい奮闘している庶民には、罵声こそあれ、何の賞讃もない。悲しき日本よ、哀れな日本よ」と。
名もなき尊き庶民に、最大に感謝し、恩返しをしていくことこそ、指導者の根本の道であらねばならない。
「ウクライナのソクラテス」と讃えられた哲学者スコボロダは断言した。
「忘恩の心は、地獄の苦しみを生み出す泉である。
報恩の心は、あらゆる喜びに満ちた楽土である」と。
あのSGI発足の会議に臨んで、私は、署名簿の国籍欄に「世界」と綴った。
人間がいる場所が「世界」である。そこで、一対一の対話の波を、一つ、また一つと起こしていく。この着実なる民衆の連帯の広がりが「世界広布」であるからだ。
チェーホフは、未来への限りない希望を込めて綴った。
「現代のような病める時代に、困苦に堪えて偉業をなしとげている人たちは太陽のようなものです」
私は万感を込めて叫ぶ。
SGIの太陽のスクラム、万歳!
偉大なる世界市民の皆様方に、栄光あれ! 健康あれ! 長寿あれ!
わが同志よ! 私と共に、それぞれの使命ある天地で、広布と人生の「完全勝利」を飾ろうではないか!