『わが社会部の友に贈る』随筆人間世紀の光(003)2004-1-13

◇随筆人間世紀の光(003)『わが社会部の友に贈る』2004-1-13

乱世に勝て価値創造の王者

仏法即職場信頼と勝利の歴史に輝け

広布とは
社会に働く
人びとが
幸福(さち)を勝ち取る
舞台なるかな

新しき一年の回転は勢いよく始まった。

誰もが希望の曙光を願いながら、今なお厳しき不況の荒波に向かって、日々の挑戦と格闘を開始した。

そのなかで、わが社会部の同志の奮闘は、希望の灯台の如く光っている。

皆様の尊き活躍に、私は、いつも涙する思いである。

思えば、社会部が誕生したのは、昭和四十八年の十月二十四日のことである。翌年を「社会の年」と銘打って前進することを発表した、本部幹部会の席上であった。

当時、第四次中東戦争によるオイルショックで、成長を続けていた日本経済は、深刻な危機に陥っていった。この時、私は決意した。

――「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」と仏典に説かれる通り、仏法は即社会であり、社会は即仏法だ。

社会での価値創造なくして仏法はない。今こそ信仰で培った英知と勇気の光をもって社会を照らしゆこう、と。

そして、その柱の存在として、社会の第一線で健闘する同志と共に、誇りも高く「社会部」を結成したのである。

以来、社会部は三十年の黄金の年輪を刻んだ。メンバーの実績は目覚ましい。

ある友は、業界のトップ・セールスマンとして、職場の模範と仰がれている。

ある友は、斬新なアイデアを駆使し、会社の経営危機を乗り越える原動力となった。

ある友は、社内にあって、皆の良き依怙依託となり、信頼の輪を広げている。

「専門部」の皆様の、深き責任感と誠実一路の活躍も、よく伺っている。

そして仕事が多忙を極めるなか、時間をこじ開け、学会活動の最前線に立ち、地域のため、広布のために、力の限り走り抜く尊き姿よ。

なんと頼もしい心か!

なんと麗しい団結か!

なんと神々しき闘争か!

私はそこに、釈尊、そして大聖人が示された「世雄」という仏の一つの実像を見る。

嬉しいことに、社会部でも青年が陸続と育っている。

私も、二十一歳で戸田先生の経営する出版社に勤めた。昭和二十四年、戦後の混乱が続く激動の時代であった。

先生は常々言われていた。

「信心は一人前、仕事は三人前頑張るんだ」

それは、仕事に取り組む根本の姿勢を、簡潔に教えられた深き哲学でもあった。

「一人前」の仕事でよしとすれば、自分に与えられた仕事だけをこなせばよいという無責任な“雇われ根性”になりかねない。先生は、それを厳しく戒められたのだ。

大きな仕事を成し遂げるには、自分だけでなく、周囲にも目を配り、皆の仕事がうまくいくように心を砕くことが大切である。また、後輩も育て上げなければならない。

さらに全体観に立ち、未来を見すえ、仕事の革新、向上に取り組むことも望まれる。

戸田先生は、その仕事への姿勢を、「三人前」と表現されたのであった。

そして「信心は一人前」とは、広宣流布をわが使命と定め、決然と「一人立つ」ことだと教えられた。

決定した、この「一人前」の信心があってこそ、「三人前」といえる堂々たる仕事を成し遂げ、職場に勝利の旗を打ち立てることができる。

「仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり」(御書九九二ページ)と仰せの通りだ。

トルストイは叫んだ。

「これあるがゆえに私はいつでも甘んじて死ねるという、そうしたある物が人間にないならば、実に不幸なことである」

我々には、妙法という永遠不滅の宝がある。広宣流布という善の行為の宝がある。

ともあれ、妙法は円教である。欠けるところがない絶妙の調和の法則である。

「自分のために」が「社会のために」なる。そして「広布のために」が「自分のために」なる――完璧な充実と満足の軌道なのだ。

動揺の
暗き社会に
われわれは
偉大な思想の
王者と指揮とれ

鎌倉時代、あの四条金吾が仕えた江間家は、大聖人を迫害する北条家に連なる家柄であった。加えて主君の江間氏は、僣聖増上慢たる極楽寺良観の信者であり、家臣の多くも主君に従った。

金吾はただ一人、敢然と正義の旗を掲げたのだ。

武芸に優れ、医術に通じ、主君の信用も厚い――それゆえに、金吾は、同僚の嫉妬の的となった。卑劣な讒言で、窮地に追い込まれた。

だが、金吾の胸には、蓮祖の仰せが轟きわたっていた。

「強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ」(同一一一八ページ)

師弟の誓願に生き抜く人生に、恐れるものはない。

戸田先生もよく言われた。

「我々は絶対勝利の信心をしている。その自覚から、仕事にせよ、何にせよ、断じて勝つことが大事なのだ」

大聖人は金吾に一つ一つ、勝利の要諦を打ち込まれた。それは普遍の人間学である。

「師子王の心を取り出せ」「勇敢であれ」「賢くあれ」「短気を起こすな」「忍耐強く」「油断するな」「大誠実で勝て」等々――。

ある時、金吾が、職を退き入道になる意向を漏らすと、蓮祖は“現実の使命の舞台から離れるな”と戒められた。

そして、「男は入道になりて大悪をつくるなり」(同一一四八ページ)と、剃髪の者の世界の腐敗堕落を痛烈に弾呵されたのである。

金吾は大聖人の教え通りに戦い切り、「仏法は勝負」の証を打ち立てていった。

金吾を讒言した輩は、皆、峻厳な仏罰を受けて倒れた。金吾の冤罪は晴れ、主君の信頼を回復して、かつての三倍の所領を勝ち得たのだ。

「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」(同三二九ページ)である。

大変だからこそ、大きく変わる。一日を十年分、百年分にも生きることができる。

これが日蓮仏法の力だ。

私が勤めた戸田先生の会社は、やがて窮地に陥った。しかし、私は一人、全責任を担って阿修羅の如く戦った。

私にとって職場とは、人間修行の道場であり、師匠と学会の正義を実証する主戦場であったからだ。

そして、創価の師弟は勝った。事業の復興はなり、戸田先生は晴れ晴れと第二代会長に就任されたのである。

「来る日も来る日も、波は岩に跳ね返される。しかし、長期的にみれば、勝つのは波である」

私が二度対談した、世界的な経済学者サロー博士の確信であった。

私も、若き日から「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す」をモットーとしてきた。最後に勝つのは、戦いを止めない「執念」の人である。挑戦を続ける「負けじ魂」の人である。

博士に、私は問うた。

「二十一世紀のフロンティア(開拓最前線)とは何か」

博士は、それは「精神世界の探検で、宗教の問題です」と明快に指摘され、こう言われた。

「宗教には『人間を向上させる力』がある。『人間は、より良くなれるんだ』ということを、宗教は資本主義社会の中で教えるべきだ」

また博士は、二十一世紀の世界へ「平和のための対話」の精神を広めていく使命を、仏法に期待されていた。

堅実にして雄々しき社会部の友の信念の力と使命は、あまりにも大きい。

これからは、人間自身の持つ、いな人間のみが持つ「知力」と「創造力」が勝負を決する時代だ。

「以信代慧(信を以って慧に代う)」の生命哲理を持っている人生がどれほど強いか。勇敢なる信心がある限り、智慧は尽きることがない。

そしてまた、「価値創造」の力に満ち満ちた創価の連帯が、どれほど尊いか。この結合とともに進む限り、行き詰まりは絶対にない。

大聖人は「世間の法が仏法の全体」と明かされた。

この現実の社会のなかでこそ、皆が仏になっていくのだ。

「仏法即職場」であり、「職場即仏法」である。

社会での信頼の広がりは即、仏法正義の確立となり、創価への共感の拡大となる。

社会部、専門部の皆様が健在であれば、学会は盤石だ。

いよいよ、創価完勝の旭日は昇り始めた。

「戦えば戦うだけわれわれは強くなる」と、ローマの哲人セネカは叫んでいる。

どうか、皆様が色心ともに健康第一で、「創価の全権大使」として、勝利繁栄の歴史を綴りゆかれんことを、私は切に切に祈りたい。

仏法は
そのまま社会の
法なれば
歓び新たに
来る日来る日も