5.3

【随筆】民衆凱歌の大行進<5> 輝かしき五月の三日

投稿日:2014年5月2日 更新日:

随筆
2014年 5月2日
民衆凱歌の大行進<5> 輝かしき五月の三日
共戦の同志よ 正義の大道を断固と!
 「よろこばしい青春よ きたれ ここに
 そして見よ 明けはなれゆく朝を」
 英国の詩人ブレイクは歌い上げた。
 今、創価の若人が、新たな希望の朝を告げている。なんと輝かしき五月三日であろうか!
 先日、ある関西の青年から届いた便りに、「五月三日の誕生花の一つはタンポポです」とあった。
 タンポポは、けなげだ。
 踏まれても、踏まれても立ち上がる。他の草花が成長する一足前に、春を告げて黄色い花を咲かせる。
 そして、一つの花から二百もの冠毛(綿毛)をつけた種子を飛ばし、新たな生命を育んでいく。
 どんな困難の嵐も乗り越え、あの地でも、この地でも、朗らかに対話の花を爛漫と咲かせる広布の母たちの姿と、
重なってならない。
 五月三日は「創価学会母の日」である。広布一筋の偉大な婦人部の皆様方に、心から感謝申し上げたい。
仏法は誰のために

 共戦の
  正義の同志に
     凱歌あり
  
 仏法は、なかんずく法華経は、いったい「誰のため」に説かれたのか――。
 七百四十年前の五月に、日蓮大聖人が認められた「法華取要抄」には、明快に記されている。 「滅後衆生の為なり」(御書三三四ページ)、「我等が為なり」(同三三五ページ)と。
 濁悪の世に生きる民衆のために仏法はある。民衆を苦しめる悪とは、どこまでも徹して戦う。ここに、仏法者として
の生き方がある。
 昭和五十四年(一九七九年)の五月三日。
 私は、横浜の神奈川文化会館に到着した。会長職を辞した直後である。会館にも、眼前に広がる山下公園にも、多
くの同志が連日のように集まってこられた。
 この学会員ほど、尊く、美しく、誠実な人びとが、どこにいようか! 私はいかなる立場であれ、会員のために戦い続
ける! それが正義であるからだ。
 御聖訓の通りに生き抜く人生である。ゆえに法難は当然だ。私は、命より大切な学会を死守するのみだ。
 目の前に洋々と広がる海を眺め、世界の広宣流布へ新しき開拓の誓いを込め、私は「共戦」、そして「正義」と書き
留めた。
 この神奈川文化会館での誓いから三十五年――。
 当時、約九十カ国・地域であったSGI(創価学会インタナショナル)は今や百九十二カ国・地域へと大発展を遂げ、
若き「共戦」の陣列が澎湃と躍り出ている。これが、何よりの「正義」の「勝利」の証しである。
 神奈川では、先月、懐かしい宿縁深き鶴見の天地で、国内最大級の会館となる記念講堂の定礎式が盛大に執り行
われた。
 わが後継の神奈川青年部の意気軒昂の総会(四月二十九日)の模様も、頼もしく伺った。
 席上、この春、医師としてスタートした女子部員が体験発表を行った。まだ母のお腹にいた時、父をがんで亡くした
乙女である。
 彼女の母もまた、かつて高等部の時、姉妹して、あの山下公園に駆けつけてくれた学会っ子であった。
 夫に先立たれて間もなく、二歳の長男と乳飲み子の長女を抱えて奮闘する若き母を、私の妻は「絶対に幸せになり
ますよ。絶対に!」と励まし、見守り続けてきた。一つ一つ変毒為薬して、輝く幸福勝利の実証を示されているご一家
の晴れ姿が、本当に嬉しい。
 ともあれ、苦楽を共にしてきた神奈川家族の希望の笑顔は、私の誇りである。
責任をもって立て
 「全部、自分たちで責任をもって考えよ」
 私は恩師から、そのような訓練を受けてきた。
 哲学者ベーコンも、「若い人々は判断するより考案することに適し、忠告より実行に適し、決まりきった仕事より新しい企画に適している」と綴っている。
 指示を受けてから腰を上げる。与えられたことだけを細々とこなす。それでは前進の力は生まれない。
 広宣流布の責任を進んで担い立ち、未来の勝利を開いていく。それが青年だ。
 六十年前、私は青年部の室長に任命された。広布の飛躍的前進へ、一切の活動の企画・立案を意図したものであ
ったが、恩師は何をすればいいかを明示されることはなかった。
 皆がロマンを感じられるようにするにはどうすべきか。時代の動向を見据えて、どう手を打つか。あらゆる角度から、
熟慮を重ねた。
 就任直後、私は青年部の会合に参加した感想を、日記にこう記した。
 「この人、この青年、二十年後、必ず檜舞台に立たせねば――。責務重大なり」
 広布の未来は、どこまでいっても人材で決まる。
 人材を見つけ、人材を伸ばしていく以外にない。
 そして、御書の一節を記した。
 「命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり」(御書九八六ページ)
と。
 一瞬一瞬が勝負だった。
 今できることを一歩一歩と着実に進めていった。
 任命から一カ月余で青年部は五千人結集を達成し、半年後には倍増の一万人結集を成し遂げたのである。
青年が希望の鐘を
 昭和三十三年(一九五八年)五月三日。私が本部総会で、創立以来の歩みを踏まえ、七年ごとの前進を期す「七つ
の鐘」という構想を発表したのも、青年部の室長の時代であった。
 この「七つの鐘」のリズムの中で、学会は幾多の嵐を越えて発展してきた。
 初代会長・牧口常三郎先生の殉教という歴史が刻まれたのは、「七つの鐘」の二番目の時であった。
 当時、軍国主義という誤った思想が民衆を狂わし、国は破滅への一途をたどっていた。その中で、牧口先生は、わ
が命をも顧みず、仏法の正義を掲げて思想の乱れを糺されたのである。
 この厳然たる事実が、アジアをはじめ、世界での信頼につながり、今日の学会の揺るがぬ礎になっていることは、
言うまでもない。
 今、学会は二〇〇一年から二〇五〇年までを「第二の七つの鐘」と位置づけ、前進を続けている。そして明二〇一五年の「五・三」は、ちょうど二番目の鐘が鳴り終わる節目である。
 この時、勇んで躍り出て、人間勝利の鐘を響かせる、地涌の世界市民は誰か。
 それは、後継の宝の青年である! わが敬愛する直弟子の君たち、貴女たちである! 成長頼もしい未来部のみ
んなである!
 今、「第二の七つの鐘」の二番目の総仕上げへ、青年部は「SOKAグローバルアクション」と銘打ち、生命尊厳と平
和の思想を社会へと発信している。
 いよいよ、・長野、また群馬・三重・沖縄・愛知を先頭に、全国各地で「創価青年大会」が行われる。
 どうか諸君は、「我らの熱と力で新たな栄光の歴史を創ってみせる!」と大いに夢とロマンを広げ、思う存分に戦っ
てもらいたい。
 そして、創価の青年らしく堂々と、華陽の乙女らしく清々しく、仏法を語り、地域に正義の旗を打ち立てていくのだ。そ
の挑戦こそが、必ずや「世界広布新時代」に、希望の鐘を打ち鳴らしていくからだ。
      ◇ 
さあ出発だ! 広布の誓願に燃えて
 六十年前の昭和二十九年(一九五四年)五月三日、戸田先生は、両国の旧国技館で語られた。
 さまざまな悩みを抱えていたとしても、「しっかり信心して、来年のきょうは、功徳をうけた顔で、われもわれもと集ま
っていただきたい」と。
 私も今、同じ心である。
 さあ、明年の五月三日へ、勢いよく出発だ!
 かのブレイクは叫んだ。
 「私は進み続ける そして何ものも私の進路を妨げることはできない」と。
 そうだ! 一歩でも半歩でも人間革命し、輝かしき歓喜と功徳の花また花で、わが地域を包みゆこう! 新学会歌
「誓いの青年よ」の歌声も高らかに!
  
 誓いたる
  勝利の道を
    勇み征け 
 (随時、掲載いたします)

 ブレイクの言葉は最初が『ブレイク詩集』寿岳文章訳(岩波書店)、二つ目は『ブレイク全著作』梅津濟美訳(名古屋
大学出版会)。ベーコンは『ベーコン随想集』渡辺義雄訳(岩波書店)。

-5.3
-, , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , ,

執筆者:

関連記事

no image

広宣流布を決するのは総合力である。総合力とは団結力である。激闘2 新・人間革命27巻

山本伸一は、立川文化会館での記念勤行会を終えると、直ちに創価大学へ向かった。「5・3」のメーン行事となる、「創価功労賞」「広布功労賞」の表彰式典等に出席するためであった。草創期から、共に広宣流布に戦い …

no image

神奈川・静岡合同協議会

神奈川・静岡合同協議会 私は、昭和54年5月3日、創価大学での儀式を終えて、その足で、一番はじめに来たのが、ここ神奈川文化会館であった。 到着したのは、午後6時59分。妻と一緒であった。 そこには、大 …

no image

「広宣流布の大師匠が誕生するのだ。弟子として」激闘18 小説「新・人間革命」27巻

金田都留子は、地方指導にも喜々として参加した。山本伸一らと共に、静岡県藤枝方面の指導に行ったこともあった。 地元の幹部から、闘病中の会員がいることを聞いた伸一は、早速、翌朝には訪問し、激励した。 包み …

no image

「人生は闘争であり、また、いつまでも闘争であるべきである」激闘1 新・人間革命 27巻

 闘争のなかに前進がある。  闘争のなかに成長がある。  闘争のなかに希望がある。  闘争のなかに歓喜がある。  ヨーロッパ統合の父クーデンホーフ・カレルギーは、信念の言葉を記した。  「人生は闘争で …

no image

昭和54年五月三日 獅子となりて 我は一人征く◆随筆 新・人間革命 80

1979年、すなわち昭和54年の5月3日――。 間もなく、創価大学の体育館で、“七つの鐘”の総仕上げを記念する、第40回の本部総会が行われることになっていた。 本来ならば、その日は、私は、偉大なる広宣 …