信仰体験

伝説のヨーヨーチャンピオン 2019年6月13日 ストリング(糸)の先に結ばれるもの 2万点を所蔵する世界有数の収集家 商品の監修や被災地ボランティアも〈信仰体験 それゆけ! オタク道〉31 

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〈信仰体験 それゆけ! オタク道〉31 伝説のヨーヨーチャンピオン 2019年6月13日
ストリング(糸)の先に結ばれるもの
2万点を所蔵する世界有数の収集家
商品の監修や被災地ボランティアも

 【茨城県古河市】家族に「新聞の取材を受ける」と伝えると、皆から「“オタク道”でしょ!」と言われたという。自他共に認めるヨーヨーオタクの柳高さん(47)=支部、地区部長=は、古今東西の2万個ものヨーヨーを収集してきた世界有数のコレクター。テレビ番組への資料提供や商品開発の監修など、「ヨーヨーのことは柳に聞け」と言われるヨーヨー界の“伝説”の人。そんな日本一のヨーヨーマニアがたどったオタク道とは――。

目次

安心できるつながり

 指先からピンと張ったストリング(糸)の先で、ヨーヨーが高速回転を続ける。手首のスナップを利かせると、次の瞬間、空中で弧を描き、自在に踊りだした。そして、手のひらに「パシッ!」と吸い寄せて一言。「ヨーヨーは、人生そのものです!」
 出あいは、小学2年の時。当時、大手飲料メーカーが、おまけとして売り出したヨーヨーが一大ブームを巻き起こした。プロモーションの一環として、各地で大会が開かれ、海外から来日したヨーヨーチャンピオンが数々のトリック(技)を披露。目の前でアクロバティックに舞うヨーヨーに、「グッと心をつかまれた」。
 すぐにブームは去ったが、ヨーヨーへの情熱が衰えることはなかった。当時はインターネットも、教えてくれる指導者もいない。駄菓子屋でもらった小さな教本と、目に焼き付けたチャンピオンのトリックの記憶を頼りに、1人で黙々と練習に励んだ。
 4年ほどたった頃、再びブームが訪れる。磨き続けたスキルが、ついに日の目を見た。
 地元の大会で6回連続の優勝。あまりの強さに主催者は、「出場せずに、指導する側に回ってほしい」と。
 ヨーヨーでは活躍を重ね“伝説のチャンピオン”になったが、大学受験には失敗。不合格の通知に、進むはずの足場を奪われたように感じた。通信制の大学に進学したものの、人間関係の悩みも重なり、「どこにも自分の居場所がなかった」。アルバイトに出掛けても、人混みに恐怖を感じ、電車に乗るだけで汗が止まらなくなった。
 その頃、よく訪ねて来てくれたのが、創価の学生部の先輩だった。最初は居留守を使っていたが、それでも何度もやって来る先輩に、徐々に心を開いていく。学会活動に参加すると、何でも話し合える仲間ができた。池田先生の指導も学んだ。先生は、若きナポレオンのエピソードを通して、「何かを成し遂げずして何のための一生か、何のためのか」と。
 柳さんにとっては、ナポレオンもヨーヨーゆかりの人物の一人。エジプト遠征時、兵士がヨーヨーで遊んでいたが残っている。信心根本に、自分も何かを成し遂げてみせると闘志が湧いた。
 先輩たちと一緒に唱題に励み、折伏に挑戦。すっかり元気を取り戻し、「生きるって、人と人とのつながりの中で自分を生かすことだと知った」。
 当時、ヨーヨーは久しく押し入れで眠ったまま。けれど、20歳のある日、何げなく訪れた東京の骨とう品店で、運命の再会を果たす。少年にあこがれ続けたレア物のヨーヨーが、ショーケースの中から、こちらを見つめていた。

無形のコレクション

 ヨーヨー熱が一気に再燃。古玩具店を巡っては、古いヨーヨーを集めた。その頃、父が始めた保険の仕事を継ぐ。仕事と学会活動、ヨーヨー収集に駆け回るように。
 地球儀の形や、仁丹ケースを兼ねているユニークなヨーヨーから、アメリカをはじめ世界各国のもの、さらに江戸時代に「手車」と呼ばれていた粘土製のヨーヨーまで、コレクションは多種多様。歴史的な文献や資料もあさって知識を深め、手に取れば、作られた年代や製造元まで分かるようになった。
 1997年(平成9年)、今度はハイパーヨーヨーブームが巻き起こる。すると、販売元から依頼され、小学生向けコミック誌の企画にアドバイスしたり、テレビ番組の出演者に指導したり……。
 学会では、の部長、副本部長として全力投球。ヨーヨー片手に激励に歩くと、部員のお子さんにも大人気。牙城会の会館警備長としても貢献し、任務に就く会館は1000日連続の無事故を達成した。
 2005年、かつてハマった大手飲料メーカーのおまけヨーヨーが“復刻版”として作られることに。なんと、柳さんに監修の依頼が舞い込む。「自分が少年時代に感じたワクワクを、今の子どもたちにも伝えたい」。監修を務めたヨーヨーは、500万個も製造され、全世界に流通した。
 さまざまな取り組みを手紙に書き、池田先生に報告すると“何事であれ、日本一はすごいことだね”との伝言が届いた。
 それまで、母・マサ子さん(75)=婦人部副本部長=も妻・寿子さん(46)=地区婦人部長=も、柳さんのヨーヨーへの情熱が分からなかったが、「妻や家族の“誤解”が一気に“理解”に変わった瞬間でした」。周りに理解されなくても突き進むのがオタク。けれど、突き抜けた先には、共感の喜びがあった。
 その後、の子どもたちにもヨーヨーの楽しさを知ってもらいたいと、児童館で教室を開催し、小学校では特別授業を。行政と連携して、高齢者施設でのボランティアにも取り組んだ。
 11年の東日本大震災後には、宮城県亘理町や山元町の避難所に行き、遊び道具を失った子どもたちに5000個のヨーヨーを提供した。
 「老若男女、誰でも楽しめるヨーヨーは、人と人をつなぐコミュニケーションツール。笑顔があふれることが、平和への第一歩だと信じています」
 お金で買えるコレクションには限界がある。けれど、ヨーヨーを通して結ばれるつながりは、無限に広げられる。古玩具店のおじいさんと話すひととき、ヨーヨーを教えた小学生からのお礼の手紙。そうした「“無形のコレクション”にこそ、価値を感じます」。この喜びを知ってしまったから、「私のオタク道に終わりはありません!」。

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