信仰体験〉“創大通教1期生”の母2019年6月4日 「いつか」ではないやるのは「今」! 中途失聴を乗り越え後継者を育てる
2019.06.04投稿
信仰体験〉“創大通教1期生”の母2019年6月4日
「いつか」ではないやるのは「今」!
中途失聴を乗り越え後継者を育てる
【長崎県大村市】60年にわたって、常にめまい、体調不良と隣り合わせで過ごしてきた。今田翼子さん(73)=久原支部、副白ゆり長=は、中学生で聴力を失った。全ての意欲が削がれる状況の中で、彼女に希望の灯をともしたのは“学ぶ喜び”であり、創価大学通信教育部との出合いだった。そこから今田さんの使命の道は開かれた。
「私だって」
ありふれた日常が突然に奪われたのは、中学1年の時。ふざけて机を飛び越えた同級生のかかとが、座っていた今田さんの頭のてっぺんを直撃した。
割れるような痛みがあったが外傷はない。高熱が2週間続き、徐々に聴力が失われていった。めまいや頭痛、倦怠感などを常に抱えるようになった。
進学した高校では、周囲は大学進学を目指していた。今田さんは、自らの将来を悲観していた。授業の内容が聞き取れず、体調がついていかず学校も休みがち。弁護士になる夢を抱いたこともあったが、進学を断念せざるを得なかった。まずは手に職を、と洋裁店で働いた。
将来を憂えていた1964年(昭和39年)、知人から渡された創価学会の書籍をきっかけに、自ら進んで入会した。信心で“宿命”を転換できるとの言葉に魅了された。
試練は容赦なく襲う。18歳と23歳の時、2度、耳の手術を受けたが、両耳の聴力は完全に失われてしまう。
耐え難かったのは、周囲に理解されないつらさだった。見た目は健常者と変わらないため、耳が聞こえないことも、体調不良も理解されず、時に心ない言葉を投げつけられた。
その中でも、学会の同志は温かく包んでくれた。「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(御書1352ページ)の御聖訓を支えに弘教に歩き、祈っては悩みを一つ一つ乗り越えた。
70年に、夫・新平さん(71)=壮年部員=と結婚。3人の娘の母となった。税理士事務所で働く夫は多忙で、今田さんは一人、育児を担った。床に伏せることが多く、赤ん坊の口元で、哺乳瓶を支えるのがやっと。
そんな時、創価大学で通信教育部が開設されることを知った。“私だって、池田先生が創られた大学で学ぶことができるんだ!”。今田さんの胸は躍った。
向学心に火がついた。当時、娘は4歳、3歳、1歳。目を輝かせて入学を望む熱意に、夫をはじめ、周囲は快く応援を約束してくれた。
負けない姿を
無謀な挑戦と、周囲には映っていたかもしれない。しかし今田さんの心は、青春を取り戻すかのように学ぶ喜びに満ちていた。
横になりながら教科書を読み、なんとかリポートを書く。家計は貧しく、子ども服は全て手製。家事に追われ、落ち着く時間など片時もなかった。
それでも、わが子に“お母さんは、耳が聞こえなくても負けなかった”と示したかった。
娘たちの幼い記憶には、参考書の山に囲まれ、真剣に学ぶ母の横顔が刻まれていった。
待ちに待った夏期スクーリング。自宅を留守にする2週間、夫は即席ラーメンを買い込み、実家の父母は子どもの世話を買って出てくれた。感謝を胸に、寝台列車に乗り込んだ。
老若男女が集い、情熱と触発にあふれた創大の講義。教員の声は聞こえなくとも、板書と教科書を頼りにした。ノートを見せてくれ、筆談で教えてくれる友人らにも助けられた。
創立者との出会いも刻んだ。話す内容は分からなくとも、1期生への期待の大きさが身に染みた。
体調を崩し、諦めそうになったことは何度もあった。しかし“卒業を創立者が待っている”と思えば、耐えられた。そして80年、4年で卒業を果たした。
その後、長女が不登校になったこともあったが、今田さんは祈り抜いた。出口の見えないトンネルを抜けるきっかけとなったのも、創価教育だった。一度は高校を中退した長女が、次女と一緒に創価大学を目指し、2人とも合格。三女も続き、現在は公認会計士として活躍する。全員が広布後継の道を歩んでいる。
世界一の情熱
娘たちの入学・卒業式に参加するたび、世界一の母校を誇りに思った。友人との話では、創大や通信教育部の素晴らしさを語るのが、今田さんの常だった。
2000年(平成12年)、人工内耳の手術を受け、32年ぶりに聞こえるように。さっそく57歳で自動車運転免許を取得。自由に動き回れるようになり、“通教1期生”の使命が燃え盛った。
小説『新・人間革命』第23巻「学光」の章には、通信教育部で学ぶ友への思いがつづられている。
「卒業は、一つの結果にすぎないかもしれない。しかし、その目標の踏破のなかに、人間完成への確かなる歩みがある。一歩一歩の前進なくして、栄光への走破はない」
周囲には、途中で卒業を諦めた人もいた。今田さんの胸には「学は光、無学は闇」の指針が刻まれていた。
見て見ぬふりはできず、現役生のリポート作成のサポートから始めた。パソコンを覚えて、チラシを作成。入学説明会への参加を呼び掛けた。月に1度、創立者の書籍を学び、触発し合う勉強会を十数年にわたって続けた。
“学びたい”気持ちがあっても、踏み切れないままでいる人も多い。
「いつまで待っても、“いつか”は来ません。“今”しかないのよ!」。今田さんの確信に触れ、一人また一人と通教で学ぶ人が増えていった。
今里明美さん(54)=婦人部本部長=は、毎年取り寄せた入学願書を山積みにしていた。今田さんに背中を押されて入学し、卒業。「ずっと面倒を見てくれて。感謝は尽きません」。
十数年かかって卒業を果たした野口晶子さん(52)=圏婦人部長=も、「通教に対する情熱は日本一、いや世界一だと思います」と語る。
今田さんは体調と相談し、購読する新聞3紙に目を通す。毎日3時間、4時間と題目を唱え、昨年からは、再び通信教育部で学んでいる。
「生涯学習。今の学びは来世につながっていくから」。学びは未来を開いていく。確信は揺るぎない。