夢に挑むママモデル スマイル自分らしく〈信仰体験〉 2020年1月18日

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夢に挑むママモデル スマイル自分らしく〈信仰体験〉
2020年1月18日

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 SNSを通して、幅広い年代の女性から支持を集めるオンラインショップ「Daddy’s girl」。
  
 オープンは、2015年(平成27年)。
 立ち上げたのは、東京都豊島区の戸津レナさん(39)‖地区副婦人部長。
 プロデューサーとして国内外の商品をセレクト・販売するだけでなく、自ら洋服のデザインも手掛けている。
  
 「いくつになっても“女の子”を楽しみたい」。そんな願いに応えるオシャレな洋服、小物をそろえる。
 大手ブランドとのコラボレーションや百貨店での期間限定ストアも盛況だ。
  
 「Daddy’s girl」という店名は、“パパっ子”という意味。そこには、レナさんの深い思いが込められていた――。

 私がデザインした服をインスタにアップしてくれるお客さまがいる。「レナさんの服を着て、水族館でデートしてきました♡」って。
  
 私の服を着て、笑ってくれる人がいる。それが何よりうれしい。
 ずっと愛していただけるように。着心地が良くて、着るたびに味わいが出る生地を使ってきた。
  
 デパートで、期間限定のストアを開くことも多い。
 私は接客が好き。お客さまとお話をしながら、その方に合った品物をおすすめできるし、直接お礼もお伝えできる。
  
 こないだは、多宝会のおばあちゃんが、杖をついて来てくださった。
 「あんた、いつもは、お母さんの顔なのに、ここではモデルさんみたいな顔してるね」って(笑い)。
  
 地元でストアを開く時、婦人部の先輩方が「レナちゃん、頑張って」って応援に来てくださる。
 学会の人たちって、本当にあったかいな。

 今年、店を始めて5年になる。店の名前の通り、私は小さい頃から“パパっ子”だった。
  
 私のパパは、有名なデザイナーの縫製をしていた。
 パパが、ミシンを踏む姿、生地を裁断する姿が、かっこよくて。ずっと憧れてた。
  
 パパ、よく言ってた。「いつか、レナと腕を組んで、原宿の街を歩いてみたいな」って。
 私が高校を卒業して雑誌の専属モデルになった時、パパは「おまえがモデルで食っていけるわけない」って心配していた。
 でも、私が載った雑誌を、誰よりもうれしそうに見てくれた。
  
 パパに、がんが見つかったのは、私が21歳の時だった。すでに骨にも転移していて……。
 それでもお見舞いに行くと、いつも笑ってくれた。

 「こないだ撮影でバリ島に行ったんだ。次の雑誌に載るから、持ってくるね」。パパとした最後の約束。守れなかった。
  
 たくさんの花に囲まれてるパパ。優しい顔をして眠ってる。
 “間に合わなくてごめんね”
 胸元に、そっと雑誌を置いた。
 泣いても泣いても涙が止まらない。
 もっと一緒にいたかったのに……。いつか結婚する日が来たら、私と腕を組んで、バージンロードを歩いてほしかった。
  
 つらすぎて、悔しくて。
 “パパが治るように祈ったのに、どうして助けてくれなかったの!?”
 あの頃の私は、抑えきれない思いを信心にぶつけていたと思う。
  
 2年後――今度は、ママが卵巣がんの宣告を受けた。
 “私から、ママまで奪っていってしまうの……”
   
 「レナ、そこに座りなさい」
 ママに呼ばれた。
 「私の姿を見ていなさい。この信心で絶対、がんを治してみせる」。私たちを守ろうとするママの気迫に、心が震えた。

不安におびえる私に、ママはよく池田先生の言葉を教えてくれた。
 「冬の間にこそ、どう戦い、どれほど充実した時を過ごすか。必ず来る春を確信し、どう深く生きるか――そこに勝利の要諦がある」
 
 パパを亡くした時、“私がママを守ろう”と思ってた。でも私は何も変わってなかった。
 ママの病気に、ただおびえるだけ。せめて、ママに喜んでもらえる娘でありたい。
 気付くと御本尊様に向かってた。
  
 地域の学会員の皆さんも祈ってくださって、手術は大成功。その後の再発もなく「完治」した。
  
 “信心には、すごい力がある”。そう実感した私は結婚の時、夫(誠さん)を折伏した。
 どんな悩みも、夫婦で題目をあげて、乗り越えていきたいと思ったから。

 夫の仕事で北海道に引っ越した。
 待ち望んだ妊娠。だけど、突然の腹痛と出血……。お医者さんから「流産」と告げられた。
  
 こんなに早く試練が来るなんて……私はまた、家族を失ってしまった。
 病院のベッドで落ち込んでいたら、婦人部の先輩が来てくれた。
 「何ですぐに言わないの! 捜したんだからね」。抱きかかえるように励ましてくれた。
  
 窓を見ると、たくさん雪が降ってた。それなのに、病院をいくつも回って、私を捜してくれたんだって……。うれしくて、涙がポロポロこぼれた。
  
 握ってくれた手。「大丈夫よ」と笑ってくれたぬくもり。この日から私の祈り方が変わったと思う。
  
 “人の幸せを祈れる自分に変われますように。苦しんでいる人を笑顔にできる人に、私はなりたい”
  
 これまで5年間、私が聖教新聞の配達をしてきたのも、そんな自分になるための挑戦だったと思う。

 息子の真虎は今、11歳。ぜんそくがひどくて大変な時もあったけど、うちの店のキッズモデルをしながら元気いっぱい成長してる。
  
 夫がよく真虎に言うことがある。
 「親父っていうのは、困ってどうにもならなくなった時、一番に助けてくれる存在なんだぞ」って。
  
 夫は中学3年の時、お母さんを病気で亡くした。
 荒れていく夫を男手一つで育ててくれた、お父さん。
 夫は「ずっと親父に心配掛けてきたから、これからたくさん親孝行したい」って言ってた。
 でも、真虎が生まれてすぐ、お父さんが心筋梗塞で急逝されて……。
 その数年後、夫は大好きなお兄さんまで、すい臓がんで亡くしてしまった。
  
 憔悴する彼。私は側にいることしかできなかった。
 家族を失う悲しみ。私には痛いほど分かる。
  
 「ずっと私と真虎がいるからね。あなたは、一人じゃないからね」

 夫は心の中の苦しみと向き合い、一生懸命祈り、少しずつ元気を取り戻していった。
 折伏に挑戦するようになって、離婚して落ち込んでいた友達に、御本尊様を授与することができた。
 私も息子さんの病気に悩むママ友に折伏が実った。
  
 どんなにつらい現実も、逃げずに信心で向き合えば、必ず乗り越えていける。悩んでいる誰かのために、生かしていくことだってできる。
  
 夫は今、私と同じ会社で、営業マンをしてる。
 会社の発展を願い、夫婦で同じ夢を描きながら、これからも一緒に、家族の幸せを、縁する全ての人たちの幸せを祈っていきたい。

 私は今も、モデルを続けてる。自分のショップで販売している洋服を着て、インターネットやSNSにアップしながら、お客さまと交流している。
 このショップは私の夢。店の名前には、亡くなったパパとの思い出が詰まってる。
 ママモデル、デザイナー、プロデューサー……いろんな肩書きがあるけど、私の根っこは“パパっ子”。信心強く、このショップを守っていきたい。