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広宣流布の道は魔との壮絶な闘争 激闘31 小説「新・人間革命」27巻

投稿日:2014年4月26日 更新日:

 五月十五日、は、九州道場にあって、終日、研修会参加者らの激励に時間を費やした。そして、夕刻には、前日に引き続いて、自ら研修会を担当した。

 彼は、「今日は、私どもの信心を妨げるについて、ともどもに思索してまいりたい」と前置きし、「ベン殿尼御前御書」を拝していった。

 「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」(御書一二二四ページ)

 まず、この御文を通解した。

 「広宣流布を進めようとするならば、必ず第六天の魔王が十軍を使って、戦を起こしてくる。そして、法華経の行者を相手に、生死の苦しみの海のなかで、凡夫と聖人が共に住むこの娑婆世界を、『取られまい』『奪おう』と争う。日蓮は、その第六天の魔王と戦う身となり、大きな戦を起こして二十余年になる。その間、一度も退く心をいだいたことはない――それが、御文の意味です。

 なぜ、第六天の魔王が戦を仕掛けてくるのか。もともと、この娑婆世界は、第六天の魔王の領地であり、魔王が自在に衆生を操っていたんです。そこに法華経の行者が出現し、正法をもって、穢土である現実世界を浄土に変えようとする。それが広宣流布です。

 そこで魔王は、驚き慌てて、法華経の行者に対して戦いを起こす。したがって、広宣流布の道は魔との壮絶な闘争になるんです。

 この第六天の魔王とは何か。人びとのを妨げる魔の働きの根源をなすものです。魔王という固有の存在がいるのではなく、人びとの己心に具わった生命の働きです。

 ゆえに、成仏というのは、的には外敵との戦いではなく、わが生命に潜むとの熾烈な戦いなんです。つまり、内なる魔性をしていってこそ、革命があり、幸せを築く大道が開かれるんです」

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