正義

正義10 小説「新・人間革命」27巻

投稿日:2014年1月14日 更新日:

「仏教の極意たる『妙法』が万民必然の生活法則たることを、科学的にしよう」
(注1)──それが、牧口常三郎の企図であった。
そして、妙法は、「数万の正証反証(幸不幸)の累積によつて、単なる哲学的なる抽象概念としての真理たるに留まらず、生活の実相に表はれる生活力の限りなき源泉」(注2)であることを実証したのである。
つまり、日蓮大聖人のは、「百発百中の生活法則たることが何れにも何人にも証明し得ることゝなつた」(注3)のだ。
「一切はには如かず」(御書一二七九p)である。広宣流布実現への力は、百万言の理論よりも、一つの実証にこそある。
さらに、牧口は、こう述べている。
「失礼ながら方の大概は御妙判と称して御書やお経文によつて説明はして下さるが、現証によつて証明して下さらないのを遺憾とする。
しかも川向ひの火事を視るが如く真理論でやるが、に親密の関係のでそれをやらないから無上最大の御法も十分に判らう筈がない」(注4)
実生活において悩み苦しむ人に徹して関わろうとせず、苦悩を乗り越える道が仏法にあることを、大をもって訴えられぬ僧侶への、鋭い指摘といってよい。
また、彼は、仏法の法理の上から、魔が競い起こらぬ宗門のの在り方に疑問を投げかけている。
本当の信心があれば、魔は怒濤のごとく競い起こるものであるからだ。
の信者の中に『誰か三障四魔競へる人あるや』と問はねばなるまい。
そして魔が起らないで、人を指導してゐるのは『悪道に人をつかはす獄卒』でないか。
然らば魔が起るか起らないかで信者と行者の区別がわかるではないか」(注5)
宗門も含め、日本の仏教各派が宗論を回避し、教えの高低浅深を問うことなく、もたれ合っていたのなかで牧口は、宗教の検証に着手し、宗教革命の烽火を上げたのである。
それは、宗教が人間の幸・不幸を決するとの強い確信からであった。

-正義
-, , , , , , , , , , , , ,

執筆者:

関連記事

no image

正義14 小説「新・人間革命」27巻

戸田城聖が学会の再建に踏み出した時、組織は壊滅状態に陥っていた。 そのなかから再出発した在家の団体が、戸田の指導のもとに年ごとに力を蓄え、七十五万世帯という未曾有の大折伏を展開しようというのである。 …

no image

正義18 小説「新・人間革命」27巻

宗旨建立七百年慶祝記念大法会が行われた一九五二年(昭和二十七年)、創価学会は、九月八日に独自の宗教法人として発足する。 戸田城聖は、前年五月に、第二代会長に就任して以来、学会として宗教法人を設立しなけ …

no image

正義47 小説「新・人間革命」27巻

「母親の愛は優しく、穏やかで、温かみがあり、寛容でありますが、また同時に最も厳正であり、強烈であり、防護であり、正義感に富んでいるのです」(注1) ──これは、二十世紀の中国を代表する女性作家・謝冰心 …

no image

正義5 小説「新・人間革命」27巻

日蓮大聖人は仰せである。 「大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ」(御書一四六七p) ──大悪は、大善が来る前兆である。一閻浮提すなわち全世界がひどく …

no image

正義29 小説「新・人間革命」27巻

一九七六年(昭和五十一年)の半ばごろから、山脇友政は、法主につながる人脈をもつ若手の僧らに、デマを流していった。 「学会は、いよいよ宗門と対決する」「宗門を乗っ取って、支配する計画だ」──いずれも〓で …