正義11 小説「新・人間革命」27巻
2014.01.15投稿
牧口常三郎の起こした創価教育学会の宗教運動は、長く民衆を支配してきた僧侶によるものではなく、在家、民衆の手による宗教革命であった。
牧口は、日蓮正宗も、時代の変遷のなかで、儀式主義に陥り、葬式仏教化していたことに、強い危惧をいだいていた。
それでは、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を成就していくことはできないからだ。
後に牧口は、次のように語っている。
「私は矢張り在家の形で日蓮正宗の信仰理念に価値論を採入れた処に私の価値がある訳で、此処に創価教育学会の特異性があるのであります」(注1)
「創価教育学会其ものは前に申上た通り日蓮正宗の信仰に私の価値創造論を採入れた処の立派な一個の在家的信仰団体であります」(注2)
つまり牧口は、日蓮大聖人の仏法に則して、価値論すなわち“なぜ、人生の幸・不幸が決定づけられるか”という問題を明らかにしてきたことに、宗門とは異なる、学会の優れた独自性があるというのである。
端的に言えば、学会は、人びとの幸福生活を確立することによって、御本尊の力、大聖人の仏法の力を実証し、広宣流布を推進してきたのだ。
しかし、学会が、宗教の教えには高低浅深があり、人生の根本法則である正法への信・不信が、生活上に価値(功徳)・反価値(罰)、幸・不幸の現証をもたらすことを訴えていくと、宗内からは強い反発が起こった。
葬式仏教となった他宗派に同化して、折伏精神を失っていた僧たちは、大聖人の仰せ通りに、仏法の王道を突き進むことを恐れていたのである。
広宣流布を忘れ、その実践を失えば、難が起こることはない。だが、そうなれば、大聖人の御精神を、魂を、捨て去ることになるのだ。
一九四三年(昭和十八年)六月、それを物語る驚くべき出来事が起こった。いわゆる「神札事件」である。