正義13 小説「新・人間革命」27巻
2014.01.17投稿
軍部政府によって会長の牧口常三郎らが逮捕されるや、周章狼狽した宗門は、牧口一門の総本山への登山を禁ずるなど、学会との関わりを断とうとしたのだ。
日蓮大聖人の仏法の清流は、正法正義を貫いた牧口と戸田城聖の、創価の師弟によって死守されたのである。
師の牧口は、獄中にあって殉教したが、理事長であった弟子の戸田は、牧口の広宣流布への遺志を受け継ぎ、一九四五年(昭和二十年)七月三日、生きて獄門を出た。
敗戦を間近にした焼け野原に一人立った。
出獄後、戸田は、直ちに学会の再建に着手した。
会の名称も「創価教育学会」から、「創価学会」と改めた。教育者を中心に教育改革をめざす団体ではなく、広く民衆を組織した
広宣流布の団体であることを、鮮明に打ち出したのである。
そして、出獄から六年後の五一年(同二十六年)五月三日、第二代会長に就任する。
その時、彼は、こう訴えた。
「私の自覚にまかせて言うならば、私は、広宣流布のために、この身を捨てます!
私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は、私の手でいたします。願わくは、それまでに宗門におかせられても、七十五万だけやっていただきたいものである」
また、もし七十五万世帯が達成できなかったら、「遺骸は品川沖に捨てよ」とまで語ったのである。
「七十五万世帯の折伏は、私の手でいたします」との言葉には、地涌の菩薩の使命を自覚し、広宣流布に一人立った戸田の、烈々たる気迫がこもっている。
広宣流布の大願は、一人立つ勇者によって成し遂げられるのだ。
そして、その師子に続いて、また一人が立ち、二人、三人……と立ち上がる、一人立つ者の総和が、大願を現実化していくのだ。
自らが立たず、数を頼んでも、それは烏合の衆であり、臆病な羊の群れである。そこには「法華弘通」という大願の成就はない。
自らが師子と立つ──それが創価の大道だ。