一九七七年(昭和五十二年)の一月十五日、山本伸一は第九回教学部大会で、「仏教史観を語る」と題して記念講演を行った。
この講演で彼は、「宗教のための人間」から、「人間のための宗教」への大転回点こそ、仏教の発祥であることを論じた。
そして、仏教本来の精神に照らして、真実の仏教教団の在り方を探究し、創価学会の運動の意味を明らかにしたのである。
それは、仏法思想を人類の蘇生の法理として、また、行き詰まった現代文明を転換する人間主義の法理として、世界に発信していくための講演であった。
釈尊の教えは、民衆の蘇生をめざすものであった。
出家、在家の別なく、世間の地位や身分も関係なく、万人が仏道修行によって、自分と同じ仏になれるというものである。
伸一は、その仏教が、やがて沈滞し、形骸化していった要因の一つは、仏教界全体が“出家仏教”に陥り、民衆をリードする機能を失ったことにあると指摘した。
そして、衆生を導く、指導者たる“法師”について、本来の意義に立ち返って論及。
「今はいかなる時かを凝視しつつ、広宣流布の運動をリードし、能く法を説きつつ、広く民衆の大海に自行化他の実践の波を起こしゆく存在」と述べた。
つまり、民衆と共に、仏法のために戦ってこそ、真の法師であると訴えたのである。
また、出家と在家の本義にも言及し、「現代において創価学会は、在家、出家の両方に通ずる役割を果たしているといえましょう。
これほど、偉大なる仏意にかなった和合僧は、世界にないのであります」と宣言した。
さらに、寺院の歴史についても論を進め、寺院は、人びとが集って成道をめざし、仏道修行に励み、布教へと向かう拠点であり、その本義の上から、学会の会館、研修所は、「現代における寺院」ともいうべきであると語った。
この「仏教史観を語る」の講演を、宗門の僧たちは、宗門批判ととらえた。
そして、学会攻撃の材料としていったのである。