静寂な夜であった。
山本伸一は、一九八一年(昭和五十六年)に執り行われる、日蓮大聖人の第七百遠忌法要を思った。
彼は、その慶讃委員長であり、この式典を、僧俗一丸となって荘厳し、広宣流布への大前進を期す佳節にしようと、固く決意していた。
それだけに、悪侶による僧俗和合の攪乱と広宣流布の破壊が、残念で残念でならなかった。
魔軍を喜ばせるだけだからだ。
彼は、ホテルの机に向かった。
後世のために、この出来事の真実とわが思いを、書きとどめておきたかった。
ペンを手にすると、苦しみ抜いてきた同志の顔が浮かんでは消えた。
「宗門問題起こる。心針に刺されたる如く辛く痛し」──こう書くと、熱湯のごとき憤怒と激情が、彼の胸にほとばしった。
「広宣流布のために、僧俗一致して前進せむとする私達の訴えを、何故、踏みにじり、理不盡の攻撃をなすのか」
そして、「大折伏に血みどろになりて、三類の強敵と戦い、疲れたる佛子」に、なぜ、このような迫害が繰り返されるのか、到底、理解しがたいとの真情を綴った。
「尊くして 愛する 佛子の悲しみと怒りと、侘しさと辛き思いを知り、断腸の日々なりき。此の火蓋、大分より起れり」
彼は、さらに、福井、兵庫、千葉などで、健気なる同志を迫害する悪侶が現れた無念を書き記し、第七百遠忌法要の成功を、「血涙をもって祈り奉りしもの也」と認めた。
ホテルの窓から外を見た。漆黒の空に、星々が美しく瞬いていた。
「これで、ひとたびは、事態は沈静化へ向かうであろう。しかし、広宣流布の道は、魔との永遠の闘争である。
ゆえに魔は、これからも、さまざまな姿を現じて、大法弘通に生きるわれらに襲いかかるであろう……」
彼は、安堵の情に酔うわけにはいかなかった。
事実、既に、この時、学会と宗門を分断する謀略の次の矢が放たれていたのである。