どうすれば、一人ひとりが、強い確信をもつことができるのか──。
山本伸一は、さらに語っていった。
「一つには、信心の力を痛感する、生活のうえでの体験を、どれだけつかんでいくかです。
体験ある人は強い。それは、御本尊の力を生命で感じているからです。
理論的に、仏法を理解していくことも大切ですし、それが精進の力になることも事実です。
しかし、それだけでは弱い。頭でわかっていることと、生命の実感とは異なります。
剣道や柔道にしても、単に試合のルールを覚え、練習の仕方がわかれば、それで強くなれるというものではない。
実際に、練習を重ね、試合も数多く経験していくなかで、「こうやれば勝てる!」「こういう場合には、こうすればよい」ということを体で覚え、生命で感じていくことができる。
それで、技が磨かれていくんです。
信心も同じです。体験は確信を得る直道なんです。
人生には、小さなことから、大きなことまで、さまざまな試練や悩みがあるものです。
仕事や人間関係、子育てなどに行き詰まることもあれば、不慮の事故に遭遇したり、病で苦しんだりすることもある。
あるいは、「なかなか弘教が実らずに悩んでいる」という方もいるでしょう。
そうした一つ一つの悩みや試練を、自身のテーマとして見すえ、懸命に唱題し、学会活動に励んでいくんです。
そうすれば、悩みは必ず克服できます。一つ、また一つと解決していくこともあれば、
大聖人が『地獄の苦みぱっときへて』(御書一〇〇〇p)と仰せのように、一挙に悩みが解決することもあるでしょう。
また、自分を悩ませていた問題は続いていたとしても、それに翻弄されて苦しんだり、そのことに負けたりしない自分を、確立していくことができるんです。
境涯革命することができるからなんです。
そうした体験の積み重ねが、仏法への確信を深め、強めていくんです」