正義48 小説「新・人間革命」27巻

戸田城聖の弟子である山本伸一も、広宣流布という創価学会の使命を、自身のこの世の使命を果たし抜くために、師弟の道を貫き通してきた。
師の事業が暗礁に乗り上げ、戸田が学会の理事長も辞任せざるを得なかった時、伸一は誓いの歌を認めて師に贈った。
  
  古の 奇しき縁に 仕へしを
  人は変れど われは変らじ
   
伸一は、戸田に再び広宣流布の指揮を執ってもらうために、この歌の通り、病弱な体であることも顧みず、死にものぐるいで、戸田の事業再建へ苦闘を重ねた。
まさに、「一念に億劫の辛労」を尽くす日々であった。
やがて伸一の奮闘は実を結び、戸田は、遂に苦境を乗り越えて、晴れて会長就任の日を迎える。
そして、生涯の願業として会員七十五万世帯の弘教を掲げ、それを見事に成就していくのである。
思えば、誰人も想像さえしなかった、その後の広宣流布の世界的な大伸展も、すべて、初代会長・牧口常三郎、第二代会長・戸田城聖という師弟の、死身弘法の戦いが、その源であり、原動力となってきた。
そして、それに連なる伸一の、また、弟子たちの不惜身命の実践があってこそ、未曾有の一閻浮提広宣流布の時代を迎えることができたのだ。
日蓮門下の最重要事は、広宣流布の大誓願の実現である。それを現実に推進してきたのが創価の師弟である。
そのこと自体が、創価学会が仏意仏勅の団体であることの、まぎれ
もない証明といえよう。
学会の発展があってこそ、宗門を外護することができ、宗門も興隆してきた。
これは、厳然たる事実であり、そこに広宣流布の確かな軌道があったのである。
伸一は、この事実についても、僧侶たちと、根気強く徹底的に話し合わねばならないと思っていた。