正義53 小説「新・人間革命」27巻

山本伸一は、文化合唱祭のあと、出席した僧侶と懇談会をもった。
彼は、“学会は、どこまでも広宣流布のために、死身弘法の誠を尽くしながら、宗門を守り抜く決意であり、さらに連携を取り合い、前進していきたい”との思いを語った。
そのあとも、出演者や運営に携わったメンバーの代表と懇談し、労をねぎらった。
翌四月二十四日、伸一は、わずかな時間を見つけては、妻の峯子と共に三重研修道場周辺の理容店や日用品店に足を運び、日ごろの学会への尽力に対して、御礼を述べた。
地域への貢献といっても、近隣の方々と交流し、大切にしていくことから始まる。
それから伸一たちは、研修道場を擁する三重県・白山町の、三沢カツ子の家に向かった。
彼女は、この地域の婦人部本部長をしており、研修道場で大きな行事がある時には、三沢の家が婦人部のさまざまな準備の会場として使われてきた。
今回の文化合唱祭でも、準備のための拠点となってきたことを、伸一は聞いていたのだ。
そこで、〝ご家族の方々にも、御礼に伺わなければ申し訳ない〟と考えていたのである。
また、三沢の母親・波多光子は、この地域の学会の草創期を切り開いた一人であった。
伸一が、地元の会員に、「あなたは、どなたから仏法の話を聞いたんですか」「誰の激励で立ち上がったんですか」と尋ねると、たいてい波多光子の名が出るのだ。
伸一は、波多にも会って、ぜひ、広布開拓の苦闘を聞き、その功績を賞讃したかったのである。
一人ひとりと会って対話し、心を結び合っていく。そして、友情のスクラムを組み、広宣流布へ、崩れざる幸せの城へと、共に歩みを運んでいく――それが創価学会である。
組織という機構、制度に、温かな人間の血を送り、信心の鼓動を伝えるのは、人と人との信頼の絆である。
ゆえに、個人と個人の語らいなくして、創価の人間組織はない。
伸一と峯子が、三沢の家に着いたのは、午後一時前であった。