正義8 小説「新・人間革命」27巻
2014.01.11投稿
各寺院の発給する寺請証文は、婚姻や旅行、奉公、住居の移転なども必要であった。
いわば、寺院は、戸籍係の役割を担い、徳川幕府のもとで民衆の支配機構として絶大な権力を振るうようになっていった。
人びとは、個人の意思とは関係なく、先祖代々の寺に所属し、宗旨寺院を替えることは、原則、できなかったのである。
さらに寺院は、葬儀などの法事、儀式を執り行うことによって、布施、供養を得て、富を手にしていく。
権力と富を保障された僧侶は、真実の仏の教えを探究して切磋琢磨し合う求道の息吹を失い、腐敗、堕落していった。
また、檀信徒を下に見る僧侶中心主義に陥り、葬儀や先祖供養などの儀式を重視する葬式仏教へと、仏教そのものを大きく変質させていったのである。
明治の初めに、寺請制度はなくなったものの、権威の衣をまとって民衆を睥睨する、
仏教界の体質は変わらなかった。
また、時の政策で僧侶の妻帯が認められると、それを受け入れ、世俗にまみれていったのである。
苦悩する人びとの、魂の救済に励むこともせず、儀式を執り行う形式・形骸化した宗教が、日本の仏教界の実態であった。
福沢諭吉は、その姿を「日本国中既に宗教なしと云ふも可なり」(注)と喝破している。
宗門も、例外ではなかった。
寺請制度のなかで葬式仏教化し、明治に入って条件付きながら信教の自由が認められても、僧侶が折伏・弘教に奔走する姿は、ほとんど見られなかった。
広宣流布という日蓮大聖人の御精神は、まさに絶えなんとしていたのである。
仏法は、常住不変であり、法それ自体が滅することはない。
しかし、その正法を継ぐべき者が、大聖人の御遺命である広宣流布を忘れ、死身弘法の大精神を失ってしまえば、それは、事実上の法滅である。
まさに、その法滅の危機のなか、さっそうと出現し、広宣流布の大願実現に立ち上がったのが、創価の師弟であった。
■引用文献
福沢諭吉著『文明論之概略』岩波書店