「広宣流布の大師匠が誕生するのだ。弟子として」激闘18 小説「新・人間革命」27巻

金田都留子は、地方指導にも喜々として参加した。山本伸一らと共に、静岡県藤枝方面の指導に行ったこともあった。
地元の幹部から、闘病中の会員がいることを聞いた伸一は、早速、翌朝には訪問し、激励した。
包み込むように、病状などを尋ねたあと、確信をみなぎらせ、朝晩の勤行の大切
さなど、信心の基本を語っていった。
同行した金田は、「御本尊の功徳に浴すことができない同志を、一人として出すまい」とする、伸一の強い慈愛を感じた。
「これが指導の心なのだ!」と思った。
金田だけでなく、伸一と一緒に活動に励んだメンバーは、彼の行動を通して、学会活動の在り方と、そこに込められた魂を体得していったのである。
金田たち文京支部の同志にとって、支部長代理の伸一と共に戦ったことが、最大の誉れであり、誇りであった。
一方、伸一も、健気な文京の友を頼もしく思い、深く敬愛していた。
彼らのためには、一切の労苦を惜しむまいと心に誓ってきたのである。
一九六〇年(昭和三十五年)五月三日、伸一は第三代会長に就任する。彼の会長就任が決まった時、文京支部員たちは喜びのなか、何をもって新会長誕生を祝賀すべきか考えた。
メンバーは、かつて伸一から聞いた、彼自身の体験を思い起こした。
──それは、戸田城聖が第二代会長に就任することが決まった時、伸一は、「広宣流布の大師匠が誕生するのだ。弟子として、それをお祝い申し上げるには、弘教しかない!」と決意する。そして、仏法対話を実らせ、戸田の会長就任式となった五一年(同二十六年)五月三日に、同じ会場で弘教した知人への御本尊授与が行われたという話である。
「私たちも、大折伏をもって、山本先生の会長就任を祝福しよう!」
すべてを弘教の活力にしていく──それが広宣流布の団体である学会の在り方である。
文京支部は疾駆した。四月度、見事にも弘教第一位の栄冠に輝いたのである。