“人生をいかに生きるか”激闘21 小説「新・人間革命」27巻

 林田清夫の入会は、一九五五年(昭和三十年)のことであった。その一年ほど前に、就職の世話や結婚の仲人をしてくれた同郷の先輩から、日蓮大聖人の仏法の話を聞かされてきた。先輩は学会の地区部長であった。

 五五年の二月、その先輩の夫人が林田の家へ、仏法対話にやって来た。夫人が生き生きと仏法のすばらしさを語ると、林田の妻は信心する決意を固め、入会することになった。 その後、先輩から、「せっかく奥さんが信心を始めたんだから、学会を知るいい機会だ。君も、朝晩は題目を三唱し、一緒に座談会に出てみてはどうか」と誘われた。

 宗教になど興味がなかった彼は、体よく断り続けた。そのうちに断る理由が見つからなくなり、やむなく二度ほど座談会に出席した。

 林田は病弱であり、性格も内向的で、自分に自信がもてなかった。また、国鉄(現在のJR)に勤務し、生活は安定していたが、常に空虚感をいだいていた。自分は大組織のなかの、取るに足らない一つの部品にすぎないように思えるのだ。

 座談会に集った人たちの身なりは質素であった。経済的に豊かそうには見えなかった。しかし、皆、喜々として、信仰体験を語っていった。病を乗り越えたという話、失業していたが好条件で就職できたという話……。

 誰もが明るく、充実感、躍動感にあふれ、はつらつとしていた。そして、“なんのための人生か”という、いわば哲学的な難題に対して明確な答えをもち、“人生をいかに生きるか”ということへの確信があった。

 林田が入会を申し出た。

 すると、幹部は言った。

 「日蓮大聖人の仏法の修行は、ただ自分が祈っていればいいというものではないんです。

 大聖人は、『力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし』(御書一三六一ページ)と御指導されている。これは、自分が題目を唱えるだけでなく、人にも仏法を弘め、折伏していきなさいということです。それが正しい仏道修行なんです。できますか!」