激闘

“人生をいかに生きるか”激闘21 小説「新・人間革命」27巻

投稿日:2014年4月15日 更新日:

 林田清夫の入会は、一九五五年(昭和三十年)のことであった。その一年ほど前に、就職の世話や結婚の仲人をしてくれた同郷のから、日蓮大聖人のの話を聞かされてきた。先輩は学会のであった。

 五五年の二月、その先輩の夫人が林田の家へ、仏法対話にやって来た。夫人が生き生きと仏法のすばらしさを語ると、林田の妻はする決意を固め、入会することになった。 その後、先輩から、「せっかく奥さんが信心を始めたんだから、学会を知るいい機会だ。君も、朝晩はを三唱し、一緒に座談会に出てみてはどうか」と誘われた。

 宗教になど興味がなかった彼は、体よく断り続けた。そのうちに断る理由が見つからなくなり、やむなく二度ほど座談会に出席した。

 林田は病弱であり、性格も内向的で、自分に自信がもてなかった。また、国鉄(現在のJR)に勤務し、生活は安定していたが、常に空虚感をいだいていた。自分は大組織のなかの、取るに足らない一つの部品にすぎないように思えるのだ。

 座談会に集った人たちの身なりは質素であった。経済的に豊かそうには見えなかった。しかし、皆、喜々として、を語っていった。病を乗り越えたという話、失業していたが好条件で就職できたという話……。

 誰もが明るく、充実感、躍動感にあふれ、はつらつとしていた。そして、“なんのための人生か”という、いわば哲学的な難題に対して明確な答えをもち、“人生をいかに生きるか”ということへの確信があった。

 林田が入会を申し出た。

 すると、は言った。

 「日蓮大聖人の仏法の修行は、ただ自分が祈っていればいいというものではないんです。

 大聖人は、『力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし』(御書一三六一ページ)と御指導されている。これは、自分が題目を唱えるだけでなく、人にも仏法を弘め、していきなさいということです。それが正しいなんです。できますか!」

-激闘
-, , , , , , , , ,

執筆者:

関連記事

no image

”一緒に行動する”ことが人材育成。激闘23 小説「新・人間革命」27巻

信心を始めてから林田清夫は、いつの間にか、健康になっていた。また、弘教に挑戦し続けてきたなかで、人前で話すことが苦手だった内向的な性格も、次第に変わっていった。その変化に、林田本人よりも、周囲の人たち …

no image

「人生は闘争であり、また、いつまでも闘争であるべきである」激闘1 新・人間革命 27巻

 闘争のなかに前進がある。  闘争のなかに成長がある。  闘争のなかに希望がある。  闘争のなかに歓喜がある。  ヨーロッパ統合の父クーデンホーフ・カレルギーは、信念の言葉を記した。  「人生は闘争で …

no image

「我もいたし人をも教化候へ」激闘29 小説「新・人間革命」27巻

学会員は皆、崇高な地涌の使命をもち、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を実現するために、創価の旗のもとに集った尊き勇者である――なればこそ山本伸一は、いかなる試練が競い起ころうが、一人たりとも、脱落させ …

no image

激闘25 小説「新・人間革命」27巻

 一九七八年(昭和五十三年)五月九日、練馬区の代表との懇談会で山本伸一は、参加者の報告に耳を傾けながら、今後の会館整備などについて語り合った。さらに彼は、この日、発足した女子部の「練馬女子生命哲学研究 …

no image

「病によりて道心はをこり候なり」激闘8小説「新・人間革命」27巻

苦闘は、精神を鍛え、人間力を培う父である。苦闘は、歓喜を生み出す母である。  山本伸一は、記者たちに語った。  「私は、青年たちに、苦闘を厭わぬ信念と哲学をもってほしいんです。苦労するのは辛いことです …