「信心は、晩年が、総仕上げの時が大事」激闘24 小説「新・人間革命」27巻
2014.04.18投稿
林田清夫の、広宣流布への使命感、責任感は、人一倍強かった。しかし、自分が偉くなりたいなどという考えは全くなかった。ただ、どうやって皆に尽くし、皆の持ち味を生かしていくかに、心を砕いてきた。
それこそが、学会のリーダーとして、最も大事な要件である。
もしリーダーの一念の奥底に、学会を利用して名聞名利を得ようなどという野心があれば、既に魔に蝕まれているのだ。信心とは、そうした自身の心を見すえ、打ち勝っていく、精神の闘争でもある。
林田は、広宣流布のために、職場でも勝利の実証を示したいとの思いで、懸命に仕事に励んできた。管理局コンピューター室長や、国鉄の教育機関「中央鉄道学園」で教育に当たるなど、職場の第一人者となり、この一九七八年(昭和五十三年)の三月で定年退職し、新たな職場に勤め始めたところであった。
山本伸一は、林田を見つめて言った。
「日蓮大聖人は『月月・日日につよ(強)り給へ・すこしもたゆ(撓)む心あらば魔たよりをうべし』(御書一一九〇ページ)と言われています。自分は、もう年だから、学会活動から少し身を引こうなどという心の緩みがあれば、そこから信心の後退が始まっていく。信心には定年はありません。
いかに幹部を経験したとしても、晩年、学会の組織から離れ、仏道修行を怠るならば、その人生は敗北です。一時は華やかそうに見えても、最後は孤独であり、人生の充実も、生命の歓喜もありません。信心は、晩年が、総仕上げの時が大事なんです。
生涯、若々しい闘将であってください。要領主義の幹部など、悠々と見下ろしながら、最後まで、黙々と、堂々と、学会を支えてください。そこに、真実の黄金の人生があります。あなたには、生涯をかけて、そのことを証明していってほしいんです」
伸一は、草創の同志には、真の信仰者の手本を示してもらいたかった。それが、後継の大河を開く力となっていくからだ。