立川文化会館 「あの日あの時 2 池田先生と第2総東京」/2006-09-29付
2006.09.29投稿
79年4月23日、立川文化を出発し、学会本部に向かった。
24日のニュースで「会長勇退」の報が流れると日本全体が揺れた。
25日、立川文化に戻った。
「東京には私の席はなかったよ」
みな、絶句した。
「ここをつくっておいてよかった。ここで戦うよ。ここから新しい時代を開くんだ」
4階の「雪山の間」。「支部証」を揮毫(きごう)していた。
「何度も書き直したよ。ここは、大変なところかな」。東京の最西端。大自然のど真ん中にある支部だった。
会員との距離がなかった。ある日、若い男子部員が立川文化に駆け込んだ。
「先ほど子供が生まれました。先生に名前をつけていただきたくて、参りました」
後ろから声がした。
「よくいらっしゃいました。いいですよ」
驚く男子部員を激励しながら、その場で命名した。
「立派に育ててください。大きくなったら、ぜひ創価大学にいらっしゃい」
駐車場で話し込む婦人部の輪にも飛び込んだ。皆、遠慮がない。
「先生! 大変でしょうけど、私たちが題目をあげてますから! 戦いますから!」
「ありがとう! 一緒に頑張ろうじゃないか!」
隣近所にも夫妻で足を運んだ。近所のラーメン店から出前を取り、創価班、牙城会の友に振る舞った。
喫茶店で一緒にゲームに興じながら懇談。かけはぎ店には自身の洋服を修理に出した。喫茶店を営む夫婦の子供が事故にあったと聞くや、お見舞いの品を届けた。
会館職員だった吉原篤夫。
「新住民ばかりの第2東京です。信頼を築くには地道な友好以外にない。先生を身をもって教えてくださった」
1993年(平成5年)、八王子市に東京牧口記念会館が完成した。
本部幹部会や、海外の識者との会見が行われる世界広宣流布のセンターである。
創価大学も、そびえ立つ本部棟を中心に堂々と発展している。
富士を望む地に、構想40有余年。民衆の城、平和・教育の城を、今や世界が仰ぎ見る。
第2総東京の新時代へ、新立川総区(立川市・日野市・昭島市)も誕生した。
【「あの日あの時 2 池田先生と第2総東京」/聖教新聞 2006-09-29付】