随筆 人間世紀の光「世界の希望の宝・未来部」156・157

強くなれ 嵐を越えて断じて勝て!
「21世紀使命会」など 担当の皆様に感謝 誠実と真剣の励ましを

 広宣と
   創価の永遠
     決めゆかむ
  人材 育てる
    なんと尊き
 この二月、そして三月は、わが大切な大切な未来部の「希望月間」である。
 北国育ちの大教育者であられた、師・戸田城聖先生は、少年少女に呼びかけられた。
 「冬に鍛えよ!」と。
 この季節は、寒風にも、雪にも負けず、真剣に、受験に挑戦している友も多い。
 頑張れ! 強い心で!
 卒業、進学、進級──未来部の友にとって、青春時代の大事な成長の節目だ。
 天高く青空へ昇るには、風や雲を突き抜けねばならぬ。
 十八世紀フランスの思想家ルソーは言っている。
 「わたしたちは、強くなるように生まれついているのだ。苦しいことなしに強くなれると思っているのだろうか」
 強くなれ! 徹して断じて、強くなれ! 苦しいこと、つらいことも、全部、強くなるための試練なのだ。
 二月十六日の御聖誕であられる日蓮大聖人は、「金は・やけば真金となる」(御書一〇八三ページ)と仰せだ。
 本物は鍛えられて、ますます輝く。これが、人間の魂の成長の法則である。
     

 人生は
  正しく強く
    朗らかに
  生きぬけ勝ちぬけ
   恩師は語りぬ
 二月十一日は、恩師・戸田先生の百八周年の生誕記念日であった。
 先生に見出され、先生に育てられた私である。この師匠なくして、私はない。
 生命の底から沸き上がる感謝は、永遠に尽きることはない。
 ──それは、昭和二十五年の十月二日の月曜日、雨の夜であった。
 先生の事業が行き詰まり、秋霜の苦境の渦中にあっても、私への訓練は休みなく続けられていた。
 顔を見れば、「あの本は読んだか」「これはどう考えるか」と、速射砲の如く聞かれる。
 師は五十歳。私は二十二歳。ご自身の学識の一切を注いで、若き弟子を鍛えてくださる、あまりにもありがたき「戸田大学」であった。
 その師の甚深なる慈愛に応えて、私も全生命を捧げてお仕えした。
 この夜も、先生のお供をして都内を動き、目黒駅へお送りしたのである。
 電車の中で、師と語り合ううち、『エミール』が話題になった。
 ルソーの有名な教育小説である。大教育者の先生の好きな一書であった。
 私は、この前年、児童雑誌『少年日本』などの編集長をしていた時にも、参考になればと再読していたのである。
 私がかいつまんで感想を申し上げると、先生は、「大作とは何でも話せるな!」と、笑みを浮かべられた。
 私は十代の終わりの「読書ノート」にも、『エミール』の一節を抜き書きしていた。戦前に出た“改造文庫”からであった。
 「人を愛せよ、彼等もまた諸君を愛する。
 彼等に仕えよ、彼等もまた諸君に仕える。
 彼等の兄弟たれ、彼等もまた諸君の子供となる」
 ルソーが、教育者自身の人間的な成長の大切さを訴えた言葉である。
 他人ではない。まず自分がどうかだ。
 口先だけの要領ではなく、自分の誠意と行動をもって範を示すのだ!
     

 勉学と
   真剣勝負の
     その中に
 栄光 燦たる
     人生 築けり
 「人間は教育によって作られる」──これは、ルソーの卓見である。
 ことにルソーは、エミールという少年の教育を通して、一人の人間を幸福にする方途を示そうとした。
 創価の父・牧口常三郎先生も、子どもたちに幸福な人生を送らせることに、教育の根本目的があると結論されていた。
 だからこそ、戸田先生もまた、ルソーに注目されていたのだ。
 「創価教育」の学校をつくることは、牧口初代会長から戸田先生が託された悲願である。たとえ、苦難のどん底にあっても、先生の胸を離れぬ夢であった。
 恩師が、神田にあった日大の食堂で、「大学をつくろう。創価大学だ。世界第一の大学にしようじゃないか!」と、遠大な教育構想を語ってくださったのは、ご一緒に『エミール』の語らいをした一カ月半後のことである。
     

 ルソーが『エミール』を書くに至った淵源には、彼自身が少年時代にお世話になった、一人の人物との出会いがある。
 彼は幼くして母を亡くし、十歳の頃、父親とも離別した。徒弟として働けば、親方に苛められ、十六、七歳頃には、放浪生活もした。
 世を恨み、自暴自棄になっても不思議ではない、苦渋の青春であった。
 その間、ルソーが仕事を紹介してもらおうと訪ねた一人に、二十歳はど年上の若い司祭がいた。名前をジャン=クロード・ゲームといった。
 このゲーム氏自身は、仕事の世話ができるような立場ではなかった。だが、それに勝る力をもっていた。「誠実」という人格の力である。
 彼は、会うたびに、ルソー少年を温かく励ました。真剣に、正しい生き方を語ってくれた。そこには「真心の親切」がこもっていた。
 自分のことを、ここまで思いやってくれる先輩がいる──その感動を滋養として、青春の生命は無限に伸びゆくのだ。
 ルソーは、三十年以上の歳月を経て、名著『エミール』や『告白』等を著す。
 そして、若き日の恩人への限りない感謝を綴っていったのである。
 「わたしはこの人の第二の弟子となった」「当時、わたしが無為のあまり邪道におちいりそうなのを救ってくれたことで、測りしれぬ恩恵をあたえてくれた」等と。
 よき先輩をもち得た人は、人生の宝を持った人だ。
 若き後輩の生命に、希望と成長の種子を残しゆく人は、偉大な人間教育の王者である。
 わが創価学会にあって、「広布の宝」であり、「世界の希望の宝」である未来部の育成に奮闘してくださる尊き皆様方こそ、その王者の中の大王者の方々である。
 男女青年部の「二十一世紀使命会」の友!
 壮年・婦人の「未来部育成部長」の皆様方!
 “進学推進”に携わってくれている学生部の俊才たち!
 そして教育本部の先生方!
 私は、最大に感謝し、讃嘆申し上げたい。
     

 偉大なる
   広宣流布の
    後継者
  育てむ燃えなむ
     決意を抱きて
 創立の父・牧口先生は、座談会に向かわれた先々で、子どもたちの生命に未来への広布の種を蒔いておられた。
 小学四年生の時に入信した私の妻も、駅に着かれた牧口先生の手を引いて、自宅の座談会に案内したことが、信心の原点となっている。
 狂乱の戦時中である。
 特高警察が何度も「中止! 中止!」と怒鳴り散らすなかでも、牧口先生は師子王の如く堂々と、仏法の正義を言い切っておられた。
 “未来部一期生”ともいうべき妻は、その姿から、峻厳なまでの先生の偉大さと仏法の崇高さを、生命の奥深くに刻みつけていったのである。
 子どもの心は鋭敏だ。
 一人の人間として誇り高く広宣流布に生き抜く信念の姿、人びとのため、社会のために勇んで学会活動に走り切る姿──それこそが、子どもたちの最大の教育となる。
 「創価学会の組識は安全地帯である。子どもは、学会の庭で育てていきなさい」
 これは、恩師・戸田先生の遺訓であった。
 (随時、掲載いたします)
 ルソーの言葉の最初は『エミール』今野一雄訳、岩波書店。二、三番目は『エミール』内山賢次訳、改造社=現代表記に改めた。最後は『告白』桑原武夫訳、岩波書店。少年期の逸話も前掲『告白』『エミール』のはか、諸伝記資料を参照。

獅子の子よ 偉大な師子となれ!
わが勝利は 後継の君たちの大成長だ

 紅に
燃えゆく希望の
    君たちは
 若き魂
    巨人のごとくに
 「池田先生!一つ質問をさせていただきたいのですが、いいでしょうか?」
 はきはきとした声をあげたのは、モスクワ大学のログノフ前総長の孫娘、アンナさんであった。一九九八年の春、前総長と私の懇談に同席されていたのである。
 「なぜ、人間には『差』があるのでしょうか?」
 先天的なものか、育つ環境の影響なのか。同じような環境や同じ教師のもとで教育を受けても、人さまざまな結果をもたらすのは、なぜなのか──役女は、真剣に悩み考えていた。
 アンナさんは当時、日本でいえば中学二年生であった。
 一人ひとりの「差」には、内的・外的、さまざまな要因がある。宿業の問題もある。しかし、根本的には、誰もがかけがえのない、一個の尊極の生命だ。
 一生懸命な彼女に、私も、未来部の皆さんの姿を重ねながら、真剣にお答えした。
 仏法では、「桜梅桃李(おうばいとうり)」の原理を説く。桜は桜、梅は梅……人はそれぞれ性格も境遇も異なる。しかし、自分らしく、個性を最大に発揮して、わが人生を全うしゆく道を教えているのが仏法である。
 私は、この原理を通して、強く語った。
 「人生には、いろんなことがあります。しかし、『私は負けない!』という『強い心がある人』は、すべてをプラスにしていける。その人こそ真に『幸福な人』です」と。
 アンナさんは、「これからの人生に本当に大切なことを教えていただきました」と、聡明な笑顔であった 青春時代の心は揺れ動くものだ。しかし、人と自分を比べて、羨んだり、嫉んだり、焦ったりする必要もない。
 イギリスの思想家ベーコンは鋭く洞察している。
 「自分に美徳をなにももたない人は、他人の美徳をいつも嫉妬する。(中略)他人の美徳に到達する希望を失った者は、他人の幸運を圧(おさ)えることで対等になろうとする」
 ゆえに、卑劣な嫉妬の人間などを圧倒しゆく汝自身の力をつけゆくのだ。
    
      ◇

 この来日中、アンナさんは関西創価学園を訪問された。
 その時にできた学園生の友人とは、得意な英語でメールを交換して、有意義な心の交流を続けておられたと伺っている。
 一昨年の秋、モスクワで開催された私の写真展にも、立派になられたアンナさんが、祖父君のログノフ前総長をはじめご家族と一緒に出席され、清々しい幸福勝利の微笑みを見せてくださった。
 ともあれ、この数十年の間、私は、世界の数多くの指導者と友情を結んできた。
 そのご家族──お子さん、お孫さんの世代とも、新たな交流が生まれていることは、本当に嬉しい限りだ。
 今、日本社会は「少子化」に直面している。政治が迅速に手を打つべき最重要の課題である。
 しかし、視点を変えれば、「少子化」だからこそ、子どもたち一人ひとりに光を当て、一人を十人にも、百人にも匹敵する黄金の人材と輝かせていける時代である。
 社会全体が、「後継の世代の教育」という本質的な命題に目覚めゆくチャンスといえまいか。
    
      ◇

 
 勝ち誇る
   歌声 聞こゆる
     わが丘に
不幸を奪いて
    僕らは勝利を
 独裁者ヒトラーに、いち早く抵抗と反撃のペンを揮った劇作家エルンスト・トラーは、戯曲『どっこいおいらは生きている!』を残した。
 そのなかで、わずか十年足らず前の革命の苦闘の歴史が、子どもたちに正しく教えられていないことが、慨嘆されている。.
 「百万のものの苦しみも認識も、次の時代がそれに耳をふさがれていたら何の意味があるんだ。あらゆる経験が底なしの海に駈け落ちて行くだけだ」
 全く、その通りである。
 仏法では、さらに厳しく、「伝持(でんじ)の人無れば猶(なお)木石(もくせき)の衣鉢(えはつ)を帯持(たいじ)せるが和し」(御書五〇八頁)と説かれている。
 「伝持の人」「後継の人」を間断なく育てることこそが、正法正義を永遠ならしめゆく唯一の道なのである。
 昭和四十一年、私は、全精魂を注いで、高等部の鳳雛たちに御書講義を重ねた。
 わが家の長男の博正も、中等部を代表して聴講した。
 「強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」(同九五七頁)
 「鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし」(同九五八頁)等々──
 共に拝した「佐渡御書」は、殉教の師・牧口先生以来、創価の師弟が永遠に心肝に染め抜いていく御金言である。
    
      ◇

 
 私は、「二十一世紀が勝負だ」と深く決意していた。
 昭和四十五年、あの”言論問題”の嵐のなか、五月三日の本部総会から約二週間後、私は記者会見に臨んだ。
 学会の前途を揶揄する、陰険な質問も飛び交った。
 私は厳然と言い切った。
 「学会がどうなるか、二十一世紀を見てください。
 社会に大きく貢献する人材が、必ず陸続と育つでしょう。その時が、私の勝負です!」
 わが未来部、青年部が成長すれば、学会は必ず勝つ!
 私は、そう信じて、一切の迫害をはね返し、正義の大道を切り開いてきたのだ。
    
      ◇

 
 御聖訓には、「たとえ父母が子を生み、その子に眼、耳が具わっていても、物を教える師匠がいなければ、それは畜生の眼や耳と等しいというべきであろう」(同一二四八頁、通解)と仰せである。
 まさに、人間は教育によって人間となる。師匠をもつことで人間となるのだ。
 過日、私は、創立四百七十年の歴史を誇る、ドミニカ共和国のサントドミンゴ自治大学から、栄えある名誉博士号を拝受した。
 その儀式のなかでも、会場にいた未来部の友に何度も声をかけ、さらに代表を壇上に呼んで励ました。
 今、一瞬も逃さず、希望の種子を、勇気の種子を、勝利の種子を、若き生命の大地に蒔いておきたいからだ。
 人生の戦いは長い。途中、何があろうが、最後まで戦い通した人が勝利者である。
 私が対談を重ねてきた中国の国学大師の饒宗頤(じょうそうい)博士も、若い世代への励ましとして語っておられた。
 「私は、世に早く認められたいとか、栄誉を焦って求めることはしませんでした。
 幸いにも、天が私に授けてくれた多くの縁と結びつき、一歩一歩学び、一歩一歩成長することができたのです」
 「忍耐と努力です」
 「学問・芸術は蓄積です。一気に頂上に到達することはできません」「青年たちは忍耐と、変わらぬ信念を持って、ひたすら険しき路を前進してほしい。そう願っています」
 今や仏教発祥の天地インドにも、尊き地涌の陣列は三万五千人に広がった。その約四割強が青年部で、さらに、青年の三割強が未来部である。
 インドの座談会では、必ず未来部が参加し、創価の師弟の精神をみなぎらせ、元気いっぱいに寸劇などを行うのが伝統である。
 その未来部の英姿に、多くの大人たちが感動しながら、さらに喜々として仏法を学び合っていると伺った。
 大切な”師子の子”である未来部の友へ、師子王の心を伝え抜くことが、広宣流布の永遠の前進の道である。
    
      ◇

 
 結びに、ルソーの言葉を、わが若き友に贈りたい。
 「およそ不正を見たり聞いたりすると、それが誰のことであろうと、どこで起こったことであろうと、まるで自分の身の上にふりかかったことのように、わたしの心はかっと燃えたつ」
 それでこそ、正義の青年だ。
 さらに、ルソーは断言している。
 「あの力をたのむ迫害者どもが真実におびえて、それを跡かたもなく抹殺しようとしている。だから真実を残しておくためにわたしもやむをえず全力をつくす。それこそゆるぎない権利と、厳格な正義にかなうはずだ」
 この決心で、私は、師匠の真実を叫び抜いてきた。
 見よ! わが池田門下の青年たちが、二十一世紀の大舞台で、縦横無尽に活躍する時代となった!
 私は勝った!
 そして、これからも、わが学会は、永遠に、若き勇敢な師子の魂で勝っていくのだ!
 未来まで
   光輝く
     創価かな
  未来部ありて
    その道確かと