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〈信仰体験〉 九州団地部のレジェンド(伝説) 2019年6月12日 地域貢献の極意は相手の心開く“あいさつ” 「どげんねー。元気にしとるねー」 自治会長を20年、福岡公団住宅の自治協会長も

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〈信仰体験〉 九州のレジェンド(伝説) 2019年6月12日
地域貢献の極意は相手の心開く“あいさつ” 「どげんねー。元気にしとるねー」
自治会長を20年、福岡公団住宅の自治協会長も

 【福岡市南区】今月25日は「団地部の日」。池田先生は、かつて同部の友に語った。「団地を船舶に譬えるならば、皆さん方は、地域の繁栄を担い、人びとを幸福という人生の目的地へと運ぶ、船長、機関長という重要な使命をもった方々であります」。ここでは、急激な高齢化や外国人入居者の増加など、社会の最先端課題に向き合う団地部の友を特集する。初回は自治会長を20年、福岡公団住宅の自治会協議会会長も務めた、九州団地部の小金昇さん(88)=西長住支部、副本=を訪ねた。

 福岡市南区にあるUR「長住団地」。約50棟の集合住宅が立ち並ぶ。小金さんは、1966年(昭和41年)に入居した。当時の団地は、高度成長の憧れの象徴。20代から30代のサラリーマン家族が大半で、活気にあふれていた。
  
 何十倍という抽選は、次点やったんよ。母ちゃんに「しゃーないな」って言ってたら、辞退者が出て、家族みんなでバンザーイしたわ。入居後は、団地の子どもたちに、ボランティアで柔道を教えてな。わしは4段やけん。当時の仕事は、広告マン。給料も良かったし、生活は充実しとった。それなのに、母ちゃんが創価に入ってしもうて。
  
 妻・満代さん(87)=支部副部長=が懸命に祈っていると、「線香くさかー」と怒鳴りつけた。2年間反対したが、「一生に一度のお願いだから」と懇願され、68年に入会。数カ月後、班長(当時)に任命された。
  
 わしは、福岡生まれだが、朝鮮で育った。植民地時代の日本人は、朝鮮人に対して、そりゃ横暴だった。だが終戦後は、朝鮮人が日本人を虐げた。人間の汚さを嫌っていうほど見た。だから、池田先生の指導を学び、先生の行動を知れば知るほど、この信心は間違いなかーって、確信した。あんなにしといて、母ちゃんには頭が上がらんわな。
  
 実は一度、40歳で自治会長に就いた。すると、「団地を学会に乗っ取られる」と批判の嵐。3年で役を追われた。悔しさをバネに、その後も団地広布を祈り、地域に尽くした。そんな78年8月、鹿児島・霧島の(当時)のロビーにいた池田先生と、九州団地部の代表5人で懇談する機会を得た。
  
 先生は、その年締結された日中平和友好条約の話をされて、「私が10年前に言った通りになった。全ては10年で決まっていく。分かりますか」と。「はい!」と答えると、じーとこちらを見られてな。「よし、福岡、頼んだよ」って。あの日の誓いが全て。ああ、この話をすると、いつも涙が出るっちゃな。
  
 91年(平成3年)、定年退職を機に、皆に推され、自治会の副会長に。3年後には再び、会長に就任。もう誰も反対する人はいなかった。以来、20年間、自治会長として1300世帯以上をまとめ、校区自治会連合会長等を歴任。福岡公団住宅の自治会協議会会長の重責も全うし、2015年、84歳で全ての役を退いた。
  
 地域貢献といっても、あいさつに尽きる。心開く呼び掛け、あいさつが一番大事。「どげんねー。元気にしとるねー」とニコって笑って、相手に負担をかけない気軽さで、物を言っていかんと、にならんわけよ。今も、団地で会う人全員にあいさつしよるけど、最近は無視されることが多くなった。社会に閉塞感がどんどん広がっとる。だから、学会員が打ち破っていかんと。

 高齢化する団地では、住民の孤立をどう防ぐかが戦いだ。皆が顔を合わせる「ふれあいサロン」でカラオケを歌い、民生委員、地元の施設、生活支援センターに働きかけ、「サポート連絡会議」を設立。それでも在任中、高齢者の自殺が3件、孤独死が4件。そのたびに胸をえぐられる思いだった。  
 
 悔しくて、悲しくて、落ち込んだ。あの時、普段は、やかましか壮年部の先輩が「おいおい、おまえらしくなかねー」と激励してくれた。「こういう時こそ、題目よ。いつも題目、題目言われるから、慣れっこになって、疎かにしよる」って。その通りだった。題目あげると、地域の人の顔が浮かんでくる。勇気も湧く。そしたら、『ちょっと気になったけん、顔ば出したー』って会いに行けばいい。
  
 自治会長時代は午後11時から団地内を一人でパトロールした。懐中電灯を持って、盆も正月も。年間320日見回り、不法投棄も軽犯罪もなくなった。地域活動の苦労は、言葉では言い表せない。嫌なことを言わなければならない。しかし、「その苦労は全て、人間としての肥やしになる。させてもらえる」と。
  
 何かの魂胆じゃなく、地域を守りたいと一心に祈り、努力し続ける。学会で学ぶ生き方を貫くだけ。団地の人は皆、口には出さんけど、「あの人は学会員や」と分かってる。それなら、学会員の人間性を見てもらうしかなか。そうすると、根を張るように信頼が広がっていく。それが地域に根差すってこと。先生のおっしゃる通りです。
  
 2年前から認知症となった満代さんを介護する。自身も腰や頸の骨を骨折し、筋力も衰えるなど、昔のように歩き回ることはできない。同じ団地内に住む長男・大作さん(56)=支部長、由美さん(56)=支部婦人部長=夫妻が生活を支えてくれている。
  
 母ちゃんも、いろいろ忘れちゃって、悲しいけども、これも人生。どう乗り越えていくかしかない。だから努めて明るくやりよる。そしたら母ちゃんも、『ありがとう、ありがとう』って、前より仲良くなったわ。わしもどんなに体力が落ちても、根性だけは落ちとらん。体が動かん分、余計思いが募る。最近は、「あの人はどげんしよるかなー」って電話しよる。顔が見たい人のとこには、嫁が代わりに行ってくれよるわ。
  
 団地を出ようと思ったことは今まで一度もない。生まれ変わっても、「また団地に住む」と断言する小金さん。なぜ、そこまで団地を愛するのか――。
  
 団地は出入りが激しい。信頼を築いても、その人が出ていけば、また一からやり直し。団地広布は厳しかです。だから、わしがやるしかなか! 団地という囲いの中で、どう人間共和の都を築いていくか――先生との誓いは、永遠じゃよ。

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