正義

正義66 新・人間革命 27巻

投稿日:2014年3月20日 更新日:

 山本伸一は、関西では、創立者として創価女子学園をしたほか、関西牧口記念館、兵庫文化会館などを次々と訪れた。

 行く先々で同志と記念のカメラに納まり、懇談会等をもち、入魂の励ましに徹した。

 四月二十八日には、関西センターでの立宗記念勤行会に出席。創価の風雪のは、法華経に説かれた「猶多怨嫉。況滅度後」(猶お怨嫉多し。況んや滅度の後をや)の通りであり、学会こそ如説修行の教であると力説した。

 また、二十九日は、関西戸田記念講堂での大阪女子部の合唱祭に臨んだあと、招待した南近畿布教区の僧侶たちと懇談した。

 この日の夜、東京に戻った伸一は、翌三十日、「'78千葉文化祭」を観賞した。ここでも文化祭に招待した県内の僧侶と語らいをもった。彼は、僧侶たちに、讒言に惑わされることなく、宗門を外護して一心にをめざす学会の心を理解してほしかった。仏子である会員を大切にしてほしかった。

 会長就任十八周年となる五月三日をめざして、伸一は懸命に走り続けた。烈風が、怒濤が襲いかかるなか、自ら盾となって同志を守り、と「」の旗を掲げ続けた。

 学会は、戦時中、軍部政府による大にさらされた。戦後も、夕張炭鉱労働組合や、大阪府警・地検による不当な弾圧と戦った。

 そして、牧口、戸田の両会長が日蓮仏法に帰依して満五十年を迎えようとする今、本来ならば、最も創価学会を賞讃すべき僧のなかから、で広宣流布を進める学会を悪口し、その仏意仏勅の組織を攪乱しようとする悪侶たちが出たのだ。

 伸一は、時の不思議さを感じた。そして、「外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし」(九五七ページ)との御文を、かみ締めるのであった。

 “すべては、経文に、大聖人の御書に、仰せの通りではないか!

 長い嵐の夜は続くかもしれない。しかし、その向こうには、旭日が輝く、飛翔の朝が待っているはずだ!”   (この章終わり)

-正義
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