3月の広布史 小樽問答 記念日

3月の広布史 小樽問答 記念日

1955(昭和30)年3月11日、北海道の小樽市公会堂で、創価学会と日蓮宗身延派との公開法論が行われました。これが「小樽問答」です。
当日は戸田第二代会長が会場で陣頭指揮をとり、若き日の池田名誉会長(当時青年室長)は法論の司会を務めました。「間違った邪教といえる身延派の 信者が、全国にわたって何千、何万と創価学会の会員となったことは、じつに創価学会が正しいという証拠であります!」との、身延派を圧倒する池田室長の司会第一声で、既に勝負は決していたと言えるでしょう。

学会の正義を社会に証明
「司会者は大作以外に考えられない」と、池田室長を司会に指名した戸田会長の期待に存分にこたえる“破折精神”みなぎる第一声に、会場の空気は一変しました。
双方から2人ずつの講師が出た法論でしたが、身延側は蛇や狐を拝ませている「本尊雑乱」の実態を突かれて立ち往生。講師が壇上で“絶句”するなど、勝敗は誰の目から見ても明らかでした。こうして法論は完全な大勝利に終わり、身延派の邪義を打ち破った学会は、その正義を社会に証明したのです。
学会勝利を満天下に示した小樽問答。その後の2年間で北海道の世帯数は約8倍に躍進しました。
コラム

婦人部の“確信”が呼び込んだ学会の勝利
小樽問答の発端となったのは、小樽のとある洋品店での家庭指導でした。当時の小樽班の班長・班担当員・組長の3人の女性たちが、身延派から改宗した家庭に指導に出向いた折、身延派の僧侶2人と遭遇したのです。
小樽班が結成されたのは、この前年の1954年の8月。信心して半年にも満たない彼女たちには、難しい教学の話はよくわかりませんでした。「学会がどうして正しいのか根拠を示せ」と、難癖 をつける僧侶らに、ただ、純真に祈り、弘教に走って得た“体験”と“確信”で、少しもひるむことなく学会の正しさを語ったのです。
檀家を取られることを阻止しようとした身延派の僧侶に、一歩も引かず、自らの確信を語った女性たちの一途な思いが、この公開法論へと発展し、学会の勝利を呼んだのです。
日蓮大聖人は、法の正邪を明らかにするため、他宗に対して常に公場対決を迫ってきました。小樽問答の勝利は、日蓮大聖人の信心の血脈が学会のなかにこそ躍動していることを証明するものでもあったのです。

参考資料

『人間革命』 第9巻 「発端」「小樽問答」